新幹線開業60年(3)路線拡大に暗雲:リニアは工事難航、北陸はルートの議論再燃
「整備新幹線」5路線、全体の9割近く進捗も…
1987年の国鉄分割民営化以降に建設された「整備新幹線」(定義は後述)は、国の公共事業として鉄道建設公団(現在は鉄道・運輸機構)が主体となって工事が進められてきた。リニア工事の難航はJR東海に新線建設のノウハウが少なかったことが要因とも指摘されるが、それでも同社が自己資金を投入して建設主体になることにこだわったのは、政治的干渉を避けたかったからだ。 東海道新幹線の成功以降、新幹線は政治と深く結び付くことになった。山陽新幹線の建設が進む1970年、新幹線による全国的な鉄道網の整備を目的とした「全国新幹線鉄道整備法(全幹法)」が成立した。翌71年、全幹法に基づいて東北、上越、成田各新幹線の建設が承認された(成田新幹線は87年に計画失効)。続く73年に5路線の整備計画と12路線の基本計画が追加された。これらの動きを主導したのが「日本列島改造論」を唱えて72年に首相になった田中角栄で、路線計画は田中ら当時の自民党有力者の意向が強く反映した。 1973年に整備計画が定められた東北新幹線・盛岡―新青森間、北海道新幹線・新青森―札幌間、北陸新幹線・高崎―新大阪間、九州新幹線・博多―鹿児島中央間、西九州新幹線・新鳥栖―長崎間の5路線、計約1500キロは、整備新幹線と称される。 東北新幹線・大宮―盛岡間、上越新幹線・大宮―新潟間が開業した1982年、国鉄の経営悪化により整備新幹線の建設は凍結されたが、政治家は続行を強く求めた。そこで新幹線を公共事業として建設してJRに貸し付ける上下分離式のスキームが考案され、国鉄分割民営化を目前にした87年1月に凍結は解除された。 整備新幹線は1997年の北陸新幹線・高崎―長野間を皮切りに、今年3月の北陸新幹線・金沢―敦賀間まで、27年間で計約1121キロが開業。北海道新幹線・新函館北斗―札幌間約212キロが工事中で、全体の9割近くまで進捗(しんちょく)している。しかし、残る北陸新幹線・敦賀―新大阪間約140キロ、西九州新幹線・新鳥栖―武雄温泉間約50キロの見通しは全く立っていない。