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球界のエースナンバー18……竜の歴史に刻まれた悲劇と再生/プロ野球20世紀・不屈の物語【1939~41年&51~54年】

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週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

錚々たる背番号18のエースたち

 プロ野球のエースナンバーといえば、多くの人が背番号18を思い浮かべるだろう。諸説あるが、もっとも得意な芸、得意技を意味する、歌舞伎の「十八番(おはこ)」に由来するともいわれる。18番がエースナンバーという意識はメジャーにはなく、エース、つまりチーム最高の投手が「十八番」というのは、日本人には親しみやすいのかもしれない。  背番号18をエースナンバーとして強く意識しているのは巨人だ。この連載でも紹介した藤田元司が2年目から18番を背負って2年連続MVPに輝いて印象を築き、それを同じく2年目に堀内恒夫が継承、V9のエースとして活躍したことで定着。以降は桑田真澄が21年の長きにわたって背負い続けた。藤田の前には、のちに背番号14が永久欠番となった沢村栄治とWエース的な存在だった前川八郎、ノーヒットノーラン2度の中尾輝三(碩志)らが着けていたが、エースナンバーとして与えられたというよりは、18番を背負った投手が結果的にエース格の活躍を見せたという印象のほうが強い。  巨人に限らず、背番号18には古くから各チームに好投手が並ぶ。ライバルの阪神で“七色の変化球”を駆使した若林忠志が着けていたのも18。ただ、名前のイロハ順で背番号が割り当てられたといわれており、若林が18だったのは偶然だろう。2リーグ制となってからは、広島で“小さな大エース”長谷川良平が18番を背負い、時代が平成となってからは現在の監督でもある佐々岡真司が、21世紀に入ると現在はツインズでプレーしている前田健太が、それぞれ後継者になった。  続いて、阪急(現在のオリックス)では驚異的なスタミナで“ガソリンタンク”と呼ばれた米田哲也が着けて、阪神を経て近鉄で引退するまで通算350勝。1リーグ時代には“鉄腕”野口二郎も着けていた。時代が進むと、甲子園でアイドル的な人気を誇り、近鉄へ入団した太田幸司に与えられるなど、エースナンバーというイメージが加速。パ・リーグではロッテで成田文男や伊良部秀輝が着け、西武でも“平成の怪物”松坂大輔が1年目から背負った。セ・リーグでもヤクルトの伊東昭光が1年目から18番。横浜では成長した三浦大輔に与えられ、のちに自らのトレードマークに。21世紀では、楽天を初優勝、日本一に導いた田中将大も背番号18を着けていた。  こうした流れと一線を画すのが中日。エースナンバーは日本一の立役者となった杉下茂が築いた背番号20だ。一方、中日の背番号18には悲しい物語が残る。

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