アメリカの影に光を当てた写真家、ロバート・フランクの軌跡。
昨年9月、94歳で亡くなった伝説のフォトグラファー、ロバート・フランク。50年代アメリカの理想ではなく、そのリアルな姿にレンズを向け、出版当時は「反米的」として批判を浴びた作品集『The Americans』はしかし、20世紀における写真表現の金字塔となった。
「私の写真を見た人には、好きなように感じ取ってほしい。そして、二度読み返したくなる詩に出合ったときのような感覚を味わって頂きたい」 世代を超えて世界中で支持され続ける写真家、ロバート・フランク。モニュメンタルな作品を後世に残し、昨年の9月、自宅があるカナダのノバスコシア州で94年の人生の幕を閉じた。 1924年にチューリッヒでユダヤ系スイス人の家庭に生まれたフランクは、23歳でアメリカに移住。『ハーパース バザー』でアシスタントとして働いた後、『VOGUE』を含む多くのファッション誌でフォトグラファーとして活躍した。 その後、’30年代を代表する写真家エドワード・スタイケンの知遇を得てグッケンハイム奨学金を手にした彼は、’55年から2年かけて、アイゼンハワー政権下で激変するアメリカ全土を旅しながら、リアルな社会をカメラに収めた。そして’58年、一連の作品をまとめた問題作『The Americans』をフランス、そしてアメリカで出版した(序文を寄せたのは、ビート・ジェネレーションを代表する作家、ジャック・ケルアックだ)。’72年、ある写真雑誌のインタビューに答えた彼は、こう振り返っている。 「この写真集は出版当時、反米的だと酷評されました。しかし時が経つとともに、若い写真家たちの心に響き始めたのです」
異邦人から見た、虚ろなアメリカ。
フランクが撮影した第二次世界大戦終結後のアメリカでは、アメリカンドリーム神話が実現したかのごとく国家の繁栄が賛美される一方で、公民権運動の萌芽が見え始めた時期だった。そんな中で彼が切り取ったのは、理想に駆り立てられたアメリカの影としての孤独感であり、それはほかでもないフランク自身が移民として抱いていた感情だった。35ミリのライカで撮影されたモノクロ写真は、人々の空虚な瞳、白人の赤子を抱く黒人女性など、アメリカの物質的繁栄とは真逆の姿を繊細な構図で捉え、物議を醸した。'15年、フランクはカナダの雑誌のインタビューで、こう振り返っている。 「私の目標は、『この写真はロバート・フランクのそのもの』と呼ばれる個性を手に入れることでした。そしてNYは、その夢を叶えてくれました。初めてタイムズスクエアに立った時、直感的に、そしてシンプルに、自分が捉えるべき時代の変動を肌で感じたのです」