男社会の中で苦悩し闘った男装の麗人オスカルについて、元タカラジェンヌが真剣に考えてみた(レビュー)
特別企画 早花まこ「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」――【ベルサイユのばら】
タカスペ中止で寂しい年末をお過ごしの宝塚ファンのみなさん。元宝塚雪組の早花まこさんによる、特別ブックレビューをお届けします。今回は、早花さん自身4回出演されたことがある『ベルばら』の魅力を、舞台と漫画の双方から紹介。はるな檸檬さんの特別イラストにも注目です! * * *
薔薇の香り立つその本
「ベルサイユのばら」。少女漫画や宝塚歌劇に興味がないという方でも、一度はこのタイトルを耳にしたことはあるだろう。 累計発行部数は2000万部以上という池田理代子作の大ヒット漫画であり、1974年の初演時は当時客入りの鈍かった宝塚歌劇の人気を復活させ、その後の存続を支えた代表作のひとつとなった「ベルサイユのばら」。 宝塚歌劇団に18年間在籍した間、私は合計4回「ベルばら」に出演することができた。小学生の頃から原作も舞台も大好きだった私にとって、この輝かしい作品に携われたことは光栄の極みであった。 「ベルサイユのばら」のストーリーや特性については、私が説明するまでもなく、多くの方がすでにご存知であろう。 18世紀後半。激動のヨーロッパの、革命前後のフランスが物語の舞台である。 運命に翻弄されながらも熱く生き抜くオスカル、アンドレ、マリー・アントワネット、フェルゼン。彼らの愛と信念、その絢爛たる生き様がドラマティックに展開される。 主役たちはもちろん、階級を問わず、貴族や平民の脇役一人一人まで、血の通った魅力溢れるキャラクターが登場する。当時のヨーロッパ情勢が緻密に書き込まれたストーリーは、夢夢しい少女漫画の枠を超え、世代を超えて多くの人に愛された。
はるか遠いよオスカルは
宝塚での舞台化だけではなく、テレビアニメや劇場版アニメも大ヒットし社会現象にまでなった「ベルばら」。今さら私が何かを語るなどおこがましいにもほどがあると承知の上で、どうしても今、取り上げたい人物。それはこの物語の主人公の一人である、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェそのひとだ。言わずと知れた男装の麗人であり、貴族出身ながら正義感と人間愛を併せ持つ、勇ましき軍神マルスの子だ。 原作の漫画は、沢山のキャラクターが活躍する長大なストーリー。宝塚歌劇では、その一部を抜粋したり、特定の人物にスポットライトを当てたりした脚本となっている。観客はその都度違った登場人物の視点で、「ベルサイユのばら」を観る。原作の名台詞や絵柄通りのシーンがそのまま現れる舞台に心躍らせるのも、観劇の楽しみのひとつだ。 様々なバージョンに変化しても、オスカルは必ず登場するキャラクター。このことからも、彼女が「ベルばら」に欠かせない人物であることが分かる。 私が初めて出演した「ベルばら」は、入団5年目の2006年、雪組「ベルサイユのばら オスカル編」。宝塚ファン時代から一番好きだったオスカルの、「少女時代」という役を、なんと私が演じることとなった。 トップスターの子供時代であるこの役は、大変なプレッシャーだった。音楽付きで堂々と登場し、華やかさでお客様を魅了し、見事なフェンシング技まで披露しなくてはならないのだ。不器用かつ不器量なこの私に、つとまるはずがない。お稽古の始めから、私は毎日叱られ、しごかれ続けることとなった。 主演のオスカルは、朝海ひかるさん。扮装をしていないお稽古場でも、輝くばかりのオーラと気品を醸し出す、美しいオスカル様であった。私などが、この方の少女時代であるはずがない。絶対に違う。しかし、そんな言い訳はお客様に通用しない――。 どうすればオスカルに近づけるのか、考え続けた。 そして拙い頭が行き着いたのは、とにかく朝海さんを見つめる、という勉強法だった。 お稽古中も休憩中も、劇団にいる間中ひたすら朝海さんを見続けた。私にとって雲の上の、そのまた上の存在であった朝海さんは、誰よりもストイックで芸事の追求に一切の妥協のない方だった。当然、お話をしたことなどない。ただならぬ緊張にブルブルと震えながら、朝海さんに教えを乞うため話しかけた。 開演前から終演後まで休む暇もない、組の誰よりも多忙なトップスターという立場にいながら、朝海さんは私ができないこと(ほとんどのことができなかったのだが)について全てを教えてくださった。鬘の前髪を立ち上げ、動いても崩れないセットの仕方。青い瞳に見せるための、ブルーのアイシャドウを乗せるコツ。話をしたこともない上、不出来な下級生である私が未熟さ丸出しにどのような質問をしても、耳を傾けてくださった。 朝海さんは、私を褒めなかった。でも、一度も拒むことはなかった。朝海さんのその、厳しくもあたたかいお気持ちに応えるためにも、少しでも「本当の」オスカル像に近づきたいと思った。 下級生ながらに考え抜いた私は、一つの場面に注目した。それは、舞台の真ん中に一人立つアンドレが、オスカルへの秘めた愛をせつせつと吐露する場面であった。幼い頃からともに育ったオスカルとアンドレは、兄弟、親友同士のように暮らしてきた。男装のオスカルにとって、アンドレはいつも傍にいてくれる欠かせない存在だが、大人になるにつれアンドレはオスカルに恋心を募らせる。 平民であるアンドレは、どんなにオスカルを想っても身分違いで結婚することは不可能だ。オスカルに近く寄り添い見守り続ける彼は、革命のその時が近づく中、 二人が初めて出会った日をまぶしげに思い出して一人語る。この時アンドレの心に映る姿こそ、私が体現しなくてはいけないオスカルだ。 私は毎日、この場面を見るため舞台袖に足を運んだ。アンドレの言葉、眼差し、虚しく宙に差し出される手は、暗い無人の空間に幼いオスカルをはっきりと描き出していた。 人を愛することも憎むことも、何もかもを知らない無垢な少女であったオスカル。男の子の姿をして剣の腕を磨く自らに尊大なまでの誇りを持ち、優しい家族から溢れんばかりの愛情を注がれていた、オスカル。短い場面とはいえその幸福を体感した私には、オスカルの辿る潔くも悲しい運命がより胸に迫るようになった。 民衆への攻撃命令に背いたオスカルは、貴族の身分を棄てて平民たちを守ることを決意する。その決断が、彼女にとってどれほど大きく苦しい別れをもたらしたか、思い至る平民はいなかった。 「さらば! もろもろの古きくびきよ にどともどることのない わたしの部屋よ」 これは、漫画の中で語られるオスカルの心の言葉だ。 自らが信じる道を進むことを選んだオスカルは、生涯をかけ大切にしてきた人たちを手放す。彼女が人間らしく生きることは、家族と、心交わした王室の人たちとの決別を意味したのだ。 革命のヒーローとして雄々しく闘いに挑むオスカルの勇姿に、子供の頃の私はただただ胸弾ませていた。しかし、かつて子供時代、青春時代を過ごした全ての大人にとっては、オスカルの決断は切ない。だからこそ、歓喜に沸く民衆を見送ったオスカルが孤独にたたずむ姿は、清々しい寂しさに輝いている。 続いて私は、同年の全国ツアー公演でオスカルの少女時代を演じた。オスカル役は、水夏希さん。