《ブラジル》妻や友人との出会いに恵まれ=USP教授になった戦後移民の自分史 (下)
日本で盛大な結婚式と新婚旅行
結婚の日や場所は既に選ばれて居て、運よく彼女の誕生日に、丸の内のある会館でという事であったが、私も休暇を取っていたので自由の身であったし、それまでの日本での短い婚約時代を思い切り楽しんだ。物珍しさも有って、当時の流行りであった新宿のご同伴喫茶にも行って見た。やがて、盛大な結婚式が挙げられ、数多くの友人、知人達から新しい生活への祝福の言葉を貰った。新婚旅行は、新妻の意向も有って、伊勢大神宮、出雲大社などへのお宮参りでもあったが、それも終えていよいよ新しい生活が始まるブラジルのピラシカーバへと向かうことになった。 ピラシカーバでは、用意してあった新居での新婚生活が始まったが、何しろ新妻にとっては、言葉もロクに喋れない、しかも今のように便利なスーパーマーケットもない所で、唯一の交通手段はバスで、しかもその頃は長男を妊娠して居たし、身重の体で市の中心にある唯一の市営メルカードに出かける事さえ大変な事であったことは想像に難くない。 しかし家内にとっては、全く幸運なことに、多くの、思い出しても素晴らしい隣人、友人に取り囲まれ、どれだけ彼らに助けられたことか。その後は、何軒か借家を転々とし、その間子供も4人恵まれて、家も大学の近くに構え、良いお手伝いさんや子守りにも助けられて、健全な家庭を築き上げた。子供達も健康に育ち、充分な教育も受けて、今では全員揃って健全な家庭を築き上げ現在に至って居る。 後に知った所では、家内には小さいころから喘息の気があり、埃の酷い東京では随分と悩んでいたようだ。ブラジルの気候でなら喘息が出にくいと耳にして居て、それがブラジルに住みたいという潜在的願望につながって居た。ピラシカーバの気候では、あまり喘息発作は起きなかったのは幸いであった。
完全無欠の100点満点の妻
結婚とは、生物的には異なった両性が共に生活し、共に家庭を築き上げて、子孫を後世に引き継ぐという、人知が造り上げた人類保存の最善のシステムであるが、人間という動物には性格というものが有り、二人の結婚生活がスムーズに行く保証はない。出来るならば似た性格、つまり似たもの同志の夫婦の方が共同生活には好ましいと考えられるが、私達のように、遠く離れた短い婚約期間では、お互いの性格を知り合うのは難しかった。 私の妻は、お互いに相手の性格をロクロク知らないままに、誰一人友人知人も居ない所へ、私だけを頼って、言語、習慣、食事などなどすべて異なる異国へ来て、多くの人々の助けも有ったものの、子供4人を無病息災健康に育て上げ、新天地に新しい家庭を築き上げた。 私は永い教員生活で、多くの試験を採点してきたが、完全無欠の100点満点の答案に出会った事は殆ど無い。有るとき、私の興味本位で、家内を、結婚生活をして居る一人の女性として必要な、種々の項目について採点したことがあった。出来る限り客観的に、依怙贔屓なしに採点したつもりであるが、驚いたことに、ほとんどすべての項目で満点、あるいはそれに近い点を取ったではないか。 一方、その後の私に対しての同様の採点では、各項目の点が、自己嫌悪に陥るほど何と低かった事か。このような理想的な女性でも、結婚して間もなく、家庭の主婦としてはどうかと思った所が有った。其れは炊事が大嫌いだと云う事である。 私は、「男子、厨房に立つなかれ」という家風の、九州男児である父のもとで育ったことから、台所での仕事はすべて女性が仕切るものと思って居たが、考えると炊事の好き嫌いは各人の性格によるものであって、女性だけに与えられた仕事ではない。 現に世界の有名なレストランのシェフは殆ど男ではないか。其れを思うと、家内の炊事嫌いというのは性格であって、決して欠点ではないことに思いつく。