「安楽死」を選んだパラリンピック金メダリストの最期の3年間【2020年ベスト記事】
――― 2020年、クーリエ・ジャポンで反響の大きかったベスト記事をご紹介していきます。1月25日掲載〈「安楽死」を選んだパラリンピック金メダリストの最期の3年間〉をご覧ください。 ――― 【画像】「安楽死」を選んだパラリンピック金メダリストの最期の3年間【2020年ベスト記事】
安楽死の「お祝い」
グラスにシャンパンがなみなみと注がれ、部屋にいた全員に手渡される。マリーケ・フェルフールト(40)の狭いアパートメントに集まった十数人は何を話し、どうすればよいか、わかっていないようだった。 「これは『お祝い』なのよ」とフェルフールトはゲストに告げてはいたものの、とてもそんな気分にはなれない。 筋力がしだいに衰える進行性の病気と闘ってきたフェルフールトは11年前の2008年、医師の幇助による安楽死に必要な書類を取得した。10代から脚の自由が効かなくなり、やがて身体も思うように動かなくなり、延々と絶え間なく続く痛みに苦しんできたからだ。 サインした書類は、彼女に多少の落ち着きを与えてくれた。ベルギーの法律では、彼女はいつでも自分の人生を終わらせることができる。 それでも彼女は進行する病を抱えながら生き続け、病気から新たな活力も得た。書類のサインから数年も経たない2012年、フェルフールトはロンドン・パラリンピック大会で金メダルを獲得。車いす陸上選手になって、初めて世界の頂点に立つ。 故国ベルギーのみならず海外でも有名になり、国際的な新聞や雑誌に取り上げられ、テレビの取材も多く受けた。世界中を旅して回り、これまでの人生を語って聞かせ、聴衆に感銘を与えた。 それでも、「例の書類」は依然として彼女の手許にあった。そして不確実性と痛みと喜び、友人や見知らぬよそ者や記者に私生活を公開し、他者に希望や悩みを与え、人生の最期を待望すると同時に恐れて過ごした。 書類を取得してから10年余りが経過したこの日に、フェルフールトは愛する者たちにその日の招待の理由を伝えていた。 それはもっとも悲痛な理由だった──3日後に死ぬことにしたの。そのための予約も入れた──。