コロナワクチン製造でカブトガニが絶滅の危機。その理由は「青い血」にあった―ビル・シャット『あなたの知らない心臓の話:動物からヒトまで――新常識に出会う知的冒険』
ブタからヒトへの心臓移植が成功したニュースは記憶に新しいところだが、わたしたちはわたしたちの「心臓」について、どこまで知っているだろうか? 古代には「魂の座」と脳よりもはるかに大事にされ、その心臓を守るためにとんでもない治療法が大真面目に繰り広げられていた時代もあった。そして最新の科学技術によって人間は、動物たちのもつ驚異的な心臓・循環器機能を自分たちの心臓に役立てようとしている。 動物学の専門家である著者が、動物から人間まで、知っているようで知らない「心臓」を語りつくした『あなたの知らない心臓の話』の「訳者あとがき」を抜粋して公開する。 ◆捨てられる脳、珍重される心臓 本書は、ロングアイランド大学ポスト校の名誉教授で、アメリカ自然史博物館の研究員でもあるビル・シャットが、だれもが知っているようで知らないことも多い心臓についてたっぷりと語った1冊だ。ヒトの心臓の構造はもちろん、その構造を解明するための医療器具の開発の過程、動物の心臓の驚くべき機能など、やや専門的なものからフィクションも顔負けの突拍子のないものまで、さまざまなエピソードを通して心臓とはなにかに迫る。 ヒトに限らず、あらゆる生き物が生きていくうえで心臓は欠かせない。古代からずっと洋の東西を問わず、体のなかでもっとも重要な部位だと考えられてきた。古代エジプトでは、死者の脳は鼻の穴からぞんざいに引きだされる一方、心臓は丁重に扱われた。 しかし、心臓の機能についての理解は間違いが多く、それが訂正される機会もずっと失われていた。背景には、ローマ・カトリック教会の存在があったという。絶大な影響力を持つ教会のせいで、心臓に関する理解が大きく遅れたことは残念だ。その反動だろうか、教会の影響から逃れて以降(とくに、人体解剖が解禁されて以降)、ヒトの体についての知識はどんどん正された。近代になるとさまざまな医療器具が考案され、医療は一気に進歩した。そのスピードには目を見張る。 ◇人間を救うため絶滅に追い込まれるカブトガニ 医療が進歩するなかで、動物の助けを借りてヒトの病気を治療しようという研究が盛んに行なわれている。2022年1月、ブタの心臓を人間に移植したというニュースがアメリカから伝えられた。もちろんブタの心臓そのものではなく、ヒトに適合するように遺伝子が改変されたものだ。本書では2021年ごろに臨床前研究がはじまるとされていたが、じっさいにもう移植手術が行なわれたことに、ずいぶん早かった、という印象を持った。 ヒトの命が救われることはすばらしい。ただ、そのために絶滅にまで追いこまれる動物がいることには、ヒトのひとりとしてなんとも言えない気持ちになる。 本書ではそんな動物の一例として、カブトガニが紹介されている。カブトガニの血液が、ヒトの病気を治療する過程でひじょうに有効だということはよくわかった。それでも、翻訳するあいだにネットで読んだ記事で、カブトガニがじっさいに採血されているところを目の当たりにして、カブトガニの尊厳とは、と思わず考えこんでしまった。興味がある方は「カブトガニ」「青い血」などでネット検索すれば、採血のようすをご覧いただけるはずだ(血の色は白みがかった青色で、ほんとうに美しい)。 ◇ヒル治療に瀉血……壮絶な医療の歴史 いまとなっては乱暴にしか思えない瀉血や、ヒルを体に貼り付けるなどの治療が大真面目に行なわれていた時代のエピソードには、失笑してしまうと同時に、医療が進歩した現代に生きていることに安堵できる。 しかし、そんな治療法を冷ややかな目で見るべきではないだろう。充分な知識も技術もないなかで最善を尽くしていたはずで(古代の知識の間違いを指摘するよりも、正しく理解されていたことを評価すべきだと、著者も言っている)、いまの時代に行なわれている〝トンデモ医療〟とは別物なのだ。 著者についてもう少し。謝辞にもあるように、吸血コウモリに魅せられつづけている著者は、吸血コウモリとナチスと日本軍とアメリカ軍がアマゾンで戦いをくり広げる『地獄の門』(J・R・フィンチとの共著/竹書房文庫/押野慎吾訳)という小説も執筆している。 [書き手]吉野山早苗(訳者) [書籍情報]『あなたの知らない心臓の話:動物からヒトまで――新常識に出会う知的冒険』 著者:ビル・シャット / 翻訳:吉野山 早苗 / 出版社:原書房 / 発売日:2022年03月15日 / ISBN:4562071494
原書房