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子ども110番の家、可児市から全国へ 90年代に不審者続発が契機

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岐阜新聞Web

◆現代版「駆け込み寺」  不審者に声を掛けられたら助けを求めよう-。全国に広がった防犯制度「子ども110番の家」は、岐阜県可児市が発祥の地。地域の子どもたちを守ろうとした住民の熱意と行動が、日本の防犯モデルに発展した。今日も全国の子どもたちを、犯罪者の魔の手から守ってくれている。  若い男にランドセルを引っ張られた、不審者に後をつけられた...。1995年、凶悪な犯罪に巻き込まれかねない事案が今渡北小学校区(可児市今渡)でしばしば起きていた。可児署生活安全課長だった池田敬(たかし)さん(68)は生徒指導の教諭から「下校途中に児童が不審な男に声をかけられ、泣いて帰ってきた。何かいい対策はないか」と相談を持ち掛けられた。  池田さんは同校に「飲食店やコンビニなど、子どもたちが駆け込める場所を考えては」と提案。米国の制度を参考にした。  学校だけでなく、地域住民も危機感を持っていた。94年4月に羽島市で下校途中の小2児童が殺害された事件。事件後に、同校元PTA会長だった吉田久さん(66)が「子どもたちを守る有効な手立てはないか」と学校側に相談していた。  池田さんの提案を機に、こうした動きをつないだのが当時教頭の伊藤可代子さん(81)。伊藤さんらがPTA、子ども会育成協議会、青少年市民会議などに協議を呼び掛けた。池田さんが事件を引き合いに出し地域防犯の必要性を訴え、子ども110番の家は住民主体の制度として、運用方法が固まっていった。  96年2月、助けを求める場所となる事業所や店舗、民家に、PTA会長田中治行さんや、子ども会育成協議会会長になった吉田さんらが依頼した。通学路沿いの22カ所の協力を得て、同年3月に子ども110番の家はスタートした。  普及の動きは、各地ですぐに起きた。約半年後の9月に開かれた市PTA連合会の研究大会で、子ども110番の家が取り上げられたことや、警察庁が機関誌で紹介したことから、まず九州で同じ制度を作る動きが起こり、その後岐阜県内でも広がった。97年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の衝撃が、全国への普及をさらに加速させた。  現在、吉田さんの職場には子ども110番の家の「初代」プレートが残っている。警察で使われている紋章の旭日章がついており、吉田さんは「『110番』という名称を使うには警察の許可が必要だった。その時に紋章をつけることを提案された」と振り返る。紋章は警察のお墨付きを得た証(あかし)。協力の依頼をしやすくなったという。  一方、美濃加茂市で暮らす伊藤さんは1枚の手書き地図を大切に保管している。子ども110番の家22カ所の場所を示したもの。各地で行政やPTAがマップを作成しているが、まさにその第1号といえるものだ。伊藤さんは「この制度の立ち上げに関わることができた。それが誇り」  可児市によると、今年7月時点で市内の子ども110番の家は626カ所。県内では、県警が把握しているだけで1万9773カ所あり(同3月末時点)、地域独自の動きもあることから実際はさらに多い。警察庁によると、全国では約158万7千カ所ある。  子ども110番の家は、地域によってはプレートを掲出しただけで、形骸化している例もある。だが一方で、各地で青色回転灯装備車(青パト)が巡回したり、見守り隊の活動も定着した。地域主導の防犯は時代とともに進化を続けている。

岐阜新聞社

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