「全財産は7円」ギャンブラーへの夢崩れ、生活保護に転落した西成の住人
日本最大のドヤ街と呼ばれる大阪市西成区あいりん地区。同地区の飯場(土木作業員たちの共同生活所)と呼ばれる場所に実際に住み込み、78日間の西成生活を綴った國友公司氏の著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、文庫版も合わせて5万部のロングセラーとなっている。 ⇒【写真】枚方の山奥で生活保護受給者に 飯場に集まっていたのは元ヤクザ、薬物中毒者、ギャンブル中毒、殺人犯などなど……。その中でも強烈な過去を持っていたのが、「フーテンの生き字引」のような生き方をする“宮崎さん”だったと國友氏は言う。
ギャンブラーを目指した西成の住人の過去
あいりん労働福祉センター(※現在は閉鎖)をうろついていると、仕事を斡旋する手配師に声を掛けられ、私は言われるがままに西成区のとある飯場へとやってきた。尼崎の解体現場に土工として通いながらここで生活する。この飯場には10日契約、15日契約、30日契約があったが、私は10日間の契約を交わした。 飯場には150人以上の労働者が暮らしており、大体10人前後のグループでそれぞれの現場へと向かう。宮崎さんは私の隣の部屋の住人で、現場も同じ。すぐに仲良くなったが、なかなかに強烈な過去を持っている。 高校を卒業後、自衛隊に4年間入隊。マグロ漁船に7年間乗り、暴力団員になった。道端でもめた相手を橋から突き落とし全治3か月の怪我を負わせ刑務所に。出所後は西成や石垣島、福島など日雇いの仕事を転々とし、今に至る。福島では原発事故の影響で避難地域となっている家屋の解体をしていた。日給は1万2000円。しかし、宮崎さんの月収は100万円を超えていた。 「俺が解体していた地域は本当に放射能の数値が高いところで、もう家主も誰も帰ってこないわけ。色んなものがあったぞ、洗濯機や冷蔵庫はどこの家にもあるし、高そうな壺とか絵画、日本刀とかもあったな。ネックレスとかの貴金属、フィギュアのコレクション、麻雀台……。とにかく宝の山だったな」 宮崎さんは解体作業そっちのけで目を「¥マーク」にしながらお宝をトラックの荷台に詰め込み、各地の質屋を巡業して荒稼ぎ。何食わぬ顔で買い取ってしまう質屋も質屋だが、不謹慎にも程がある。「俺の生涯年金はその辺のサラリーマンより上」だというが、パチンコ、競馬、競艇、酒などにジャブジャブと金をつぎ込み、すぐに西成の飯場へ戻ってきてしまう。そんな生活を何十年と続けているのだ。