民主社会の正統性を支える「軍」の意義を理解しなかったトランプ氏
森本 あんり
ドナルド・トランプ氏は米大統領時代、国民が深い信頼を寄せてやまない「軍」の重みを理解せず、高官らと信頼関係を築けなかった。トランピズムの持つ「危うい一面」を振り返り、あらためて民主国家の構造を考える。
ドナルド・トランプ氏と多くの日本人に共通しているところが一つある。どちらも、民主社会における軍が持つ意義の重要さをよく理解していない、という点である。 いや、大統領だった彼は、もちろん自国の軍隊のことを隅々まで知っているだろう。だが、知識として何かを知っていることと、その意義を感覚的に悟っていることとは違う。トランプ氏は、他の多くのことについてほとんど動物的な直感で把握する天性の能力をもっているが、アメリカ社会で軍の存在がもつ象徴的な意義については、不思議なほど理解力を欠いている。 われわれ日本人も同様である。戦後日本の民主主義は軍の存在を「まま子」のように扱ってきたため、表だった制度上の議論だけでなく、大衆の基礎感情という次元においても、安定的な位置づけを与えることができずにいる。背景事情はトランプ氏とだいぶ違うが、平時の民主体制における軍の役割について確たる定見がないという点では、さほど変わりがない。 では、その役割とは何か。それは、統治構造の正統性を守る外壁となることである。民主的な体制の正統性は、民意を体現する選挙、法の支配や適正な手続き、権力の分散均衡と相互監視などといったさまざまな根拠により担保されている。軍は、正統性の源泉ではないが、その外壁である。軍の役割は、今年1月の政権移行時にミリー統合参謀本部長が明言した通り、政治的なプロセスの外部に留まり、徹底して「没政治的」(apolitical) であることによって果たされるのである。このことは、昨今の報道が続いているミャンマーのクーデターを考えればすぐに理解できる。
「献身」「奉仕」の価値を理解できず
もともとトランプ氏は、軍のもつ途方もない物理的な力が大好きである。世界の軍事力の中でも飛び抜けた規模を持つ合法的暴力装置に、彼が無関心でいられるはずがない。そして大統領は、定義上は米軍の最高司令官である。だから彼は、あたかも自分のおもちゃ箱に入っている兵隊のように、好き勝手に軍を動かせると思い込んだようである。 だが、どこの国でも軍は伝統的に国家レベルのエリート集団であって、高度の規律と自律性をもち、何よりも名誉とプライドを重んじる。民主国家の軍は文民統制のもとに置かれているが、それは単に市民政治家が上に立って制服を着た軍人に命令を下せば成立する、というものではない。その関係は常に双方向的であって、文官が武官の専門知と経験に聴き、その助言を信頼しつつ判断を下すことで成り立っているのである。 ところが、トランプ氏にはこれらのことが理解できない。一般に、彼が理解できないものが二種類ある。自分の思い通りにならないものと、理念への献身や私心なき奉仕といった高度な精神的価値である。軍は、その両方の意味で彼が理解できないものだった。 トランプ氏とアメリカ軍との関係は、すでに大統領就任前から緊張をはらんでいた。選挙期間中の彼は、ジョン・マケイン上院議員の戦歴に侮蔑的な発言をしたり、イスラム教徒で戦死した陸軍大尉の遺族に無礼な返答をしたりして、軍関係者の怒りを買った。