「二人とも病気だから将来のことが心配」 一緒に暮らすことが許されない日本人の娘とフィリピン人の母親
●原因不明の激しい腹痛に苦しめられる
収容中は原因不明の激しい腹痛にも苦しめられた。 最初は検査すらしてもらえず、職員に「ホルモンバランスが崩れているか、ストレスが原因だろう」と言われて「命の母」(女性保健薬)を飲まされ続けた。 改善する様子がないと、今度は抗生物質を飲まされるようになった。薬が合わなくて頭痛がするようになったが、嫌でも強制的に飲まされる。 口の中を見られ、薬を服用しているかチェックされる。あまりの頭の痛さや耳鳴りに三度も倒れたことがあるが、それでも職員には「ストレスだから」と流された。 医者が変わってから薬の量がやっと少なくなった。「膵臓が腫れている」とか「癒着している」とか診断されたが、職員には「外に出たら自分で治して」と言われた。
●職員から暴力、伴侶の死、最愛の娘とも会えない
マリベスさんは娘に会えないストレスから抗議を二度したため、複数の職員から暴力的な制圧を受けている。 腕を強引にひねられたり、床に頭と体を強く抑え込まれたりした。通称、懲罰房と呼ばれる三畳ほどの狭い部屋に強引に連れていかれ、トイレも着替えもテレビカメラで監視される日々が五日間も続いた。今でもその時のトラウマと身体の痛みが残っている。 そんなとき、唯一頼りにしていたAさんが脳梗塞になって亡くなったと知らせを受ける。マリベスさんは、ますます絶望の淵に落とされることになる。 2021年、ようやく仮放免申請が通り、3年10カ月のもの長い収容生活を終え、10キロ以上やせ衰えた状態で外にでることができた。 ところが解放されたあとも、コロナ禍であるために娘に会わせてもらうことができない。最初はテレビ電話で会話するだけだった。 2023年、今度こそ娘に会えると連絡が来て、養護施設に出向いたら、マリベスさんは室内に入れてもらうことができず、外の窓から15~20分だけやりとりをした。 ガラスで遮られているので、触れ合うどころか、声すら聞き取れない。ガラス越しに手を合わせて、マリベスさんは、ただただ号泣した。 「入管の外に出てもさみしい。娘に会えない。死にたかった」