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宮沢和史の「ことば永遠(とわ)」第16回|山を登りきるのに近道はない

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クーリエ・ジャポン

コロナ禍によって世界の経済活動が著しく停滞し、人々の生活にも多くの規制がかかっている。先の見えない毎日だが、そんな時だからこそ見えてくる世界があるのかもしれない。 新型コロナウイルスの蔓延によって、多くの職種で人々が辛酸をなめている状況が、すでに7ヵ月以上も続いている。その間に季節が3つも変わってしまった。 在宅の時間が以前と比較できないほど長くなったことで、かえって忙しくなった職種もあるのだろうが、倒産、閉店、休業、失業といった言葉が耳目に触れる機会が多い。 国内の新型コロナ感染者数は9月22日の時点で、7万9438人、死者数は1508人(厚生労働省)。 この数字を多いと見るのか少ないと見るのかは、意見が分かれるところだろうが、このコロナ危機によって桁違いの休業者、失業者を生んでいる事態に関しては、いずれ議論されなくてはならない。 HIV、エボラウイルス、SARSにおける新型コロナウイルス、マラリア原虫などの病原体が各国にもたらした惨状に比べると、少なくとも現状ではCOVID-19による日本国内の被害は少ないように思える。 ただし、同時期に世界中を巻き込んだパンデミックという状況に追い込まれた我々は、日々未知なる浮世を、まるで暗がりの林の中を両手でかき分けながら進むかのように半年以上を過ごしてきたわけだ。国を挙げての対策に挑んだからこそ、この数字に収まっているという言い方ができるが、そのために経済活動が止まり、COVID-19の被害者よりも経済活動から放り出された人の数が大きく上回っていることが何ともやりきれない。

「今だからこそできること」

そういう自分もれっきとした休業者の一人だ。 2020年の2月末からコンサート、音楽イベント等のステージの仕事は一度しかしていない。閉鎖された録音スタジオにおける音楽制作活動も自粛した。秋が深まり始める頃から、集客数50%のコンサート活動を再開できるよう準備を進めているところであるが、もし第3波が来たら、これもご破算にするしかない……。 先が見えないこの恐怖感、身体疲労は、永遠に人類の記憶から消えることはないだろう。 そういった状況のなかで、ポジティブな思考でいることはなかなか困難ではある。しかし、皆さんもきっとそうだろうが「今だからこそできること」を毎日探している。 広大な河が一瞬で干上がってしまったかのような、当たり前なものとして意識さえもしなかった日常という時間の流れが止まってしまうことによって、「流れに乗っている時にはなかなかできないこと、見えないこと」に時間を割くことができる。 演奏したい、歌いたいと思っていた楽曲の練習。作詞・作曲をはじめとする在宅でできる創作活動。もっと身近なところでは、所有しているものの把握や整理、修理、修復。ストレッチや筋力トレーニングによる身体のメンテナンス、等々。立ち止まることによって見える景色というものがあるんだなとつくづく思った。 自分は長年苦しんでいた首のヘルニアの悪化によって表立った歌手活動を引退した時期があったのだが、あの時は「自分一人が立ち止まった」という感覚だったのを覚えている。自分の人生が止まってしまったのだから、相対的に自分以外の世界が急激にうねって激流のように流れていく……。もっと言えば、大きな音をたて、カラフルな電飾を輝かせて廻る制御不能なメリーゴーランドを眺めているように感じられた。 しかし、今回は違う。地球の自転が停止したかのように全世界が止まったのだ。だからこそ見える景色も桁違いに多い。   自室にはテレビがない。しかし、今年は部屋にいる時間がとにかく長いので、ネットで映画やYouTubeのコンテンツを観る機会がグッと増えた。以前、何回も観た映画であってもコロナ禍では違ったメッセージが感じられたりする。 ノンフィクションであるスポーツを観て心を奮い立たせたいところだが、スポーツ活動も一時止まってしまっていたし、コンサート活動も行えず、YouTubeの中で「過去の試合、ライブ映像」なんかを観てみると、満席の観客の熱狂や、ステージ上や運動場での熱いパフォーマンスが、遠い遠い昔のことのように感じられてしまう。 自分自身の価値観の支柱がこのコロナ現象のせいでズレてしまっていることに驚かされた。たった半年で人間の平衡感覚は乱れてしまうものなのだ……。

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