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【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.7】北田千尋「“頑張れる”幸せをかみしめ目指すは“世界一”」

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バスケットボールキング

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。 文=斎藤寿子  Vol.6で登場した湯浅冴華(ELFIN/NO EXCUSE)が「努力を惜しまず、自分を犠牲にしてでも周りを良くしていこうとする選手」と尊敬の念を抱いているのが、北田千尋(カクテル)。女子日本代表候補の一人として、来年の東京パラリンピックでの活躍が期待されている選手の一人だ。練習でも試合でも、人一倍の声でチームメイトを鼓舞し続けるなど、何ごとにも手を抜かない北田。彼女が頑張る理由には、ある思いがあった。

頑張ることが許されなかったバスケ。だからこそ募った思い

 北田は中学時代、バスケットボール部に所属していた。しかし当時はバスケに限らず、スポーツ全般が好きではなく、一番好きな時間は一人で読書をしている時だった。実は3歳の時から気管支喘息を患い、小学2年の時まで入退院を繰り返していたのだ。そのため、人見知りで、友だちと呼べる人は一人もいなかったという。  そこで体が弱かったこともあり、娘のことを心配した母親は、近所の同級生に気にかけてくれるよう頼んだ。北田は小学校も中学校も、その同級生と一緒に登下校するのが日課となった。バスケ部に入部したのは、幼なじみとなったその同級生が入ったからだった。「気の置ける人がいたほうがいいかな」というのが理由だった。  一方、スポーツは苦手としていた北田だが、負けん気は強かった。そのため、逆上がりも一輪車も、自ら居残って練習し克服した。だからバスケ部でも、努力しようとした。しかし、いくらしたくても、できなかった。実は北田には喘息のほかに、もう一つ抱えていることがあった。幼少時代から、少し長い距離を走ると両脚が痛くなるという症状に悩まされていたのだ。そのため、3年間“だましだまし”でしかすることができなかった。  精一杯の努力ができなかったことが心残りだった北田は、高校でもバスケを続けたいと思った。だが、良くなることはなかった脚の状態を考えれば、また同じように苦しむことはわかっていた。未練を捨てるため、北田はバスケ部のない高校に進学した。  しかし、バスケへの気持ちは強まる一方だった。そして北田は、ある妙案を思いついた。自分はプレーヤーではなく、コーチ役になればいいと考えたのだ。 「何もプレーヤーにならなくても、バスケには関われるじゃん、って思ったんです。うまくなりたくて、中学時代からバスケの専門書をよく読んでいました。だからその知識を使って、コーチになろうと思いました」  中学時代、頑張りたくても頑張れなかった時の悔しい思いが、北田を突き動かしていたのだろう。内気な性格で、一人でいることを好んでいたはずが、自ら学校に直談判し、バスケ部創部に奔走した。  無事に学校からも承認され、バスケ部の活動をスタートさせた北田は、選手登録はしていたものの、実質的にはチームのヘッドコーチとして、練習から試合からすべて指揮を執った。すると、指導者としてのやりがいを感じ、5年間の高等専門学校を3年で自主退学。体育教師になるために大学に進学した。

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