魔性の女・令和のナオミに溺れた中年男が見つけた〝生きる意味〟 「痴人の愛」
「令和のナオミ」はどのように現れ、人々にどんな影響を及ぼすのだろう。それは、今の日本人が心の底でどういう存在を求めているのかという問いに重なるだろう。井土紀州監督の「痴人の愛」を見ながら、そんなことを考えた。 【写真】譲治(大西信満)はナオミ(奈月セナ)にのめり込み、その身体にひざまずく 「痴人の愛」の一場面
谷崎潤一郎が描いた魔性の女
原作は近代日本文学を代表する文豪、谷崎潤一郎の同名の長編小説。地方出身のまじめな電気技師だった28歳の譲治がカフェの女給だった15歳のナオミと知り合い、その美貌にどうしようもなくひかれ、2人で暮らし始める。世の中を知らない若い女性を教育して、一流のレディーにしようというのが譲治の夢だった。 ところが、ナオミは浪費家で行儀も悪く、なかなか譲治の思うようにはならない。そのうちにナオミの魔性に気づくが、すでに譲治は彼女のとりこになっていて、その肉体の前にひれ伏し、服従していく。彼は会社を辞めてナオミの希望に合わせた家を買う。ナオミの奴隷として生きていくことになる。ナオミの自由さに翻弄(ほんろう)された譲治は、自分は自由ではなく従属を求めていることを思い知らされる。ギリギリの人間模様の中で、ナオミの美しさと譲治の率直さがひときわ印象的だ。 ナオミは日本文学におけるファム・ファタール(もともとは「運命の女」という意味だが、「男を破滅させるような性的魅力を持った女」という意味で使われる)の代表だろう。現代において「痴人の愛」を映画化するということは、今の日本でナオミはどのように存在意味を持つのかという疑問にチャレンジしているともいえる。今回の映画「痴人の愛」は原作のテイストを生かしながら、大胆に読みかえている。明快な構成と歯切れのいい進行で、それは成功したといえるだろう。こんなストーリーだ。
脚本家志望の男が出会う〝運命の女〟
主人公の譲治(大西信満)はかつてコンクールで受賞したものの、本格的なプロデビューを果たせないままで年齢を重ねた脚本家志望の男。清掃のアルバイトをしながら、シナリオ講座に通っている。夢を追う譲治に愛想をつかした妻子とは別れ、1人で暮らしている。彼が都会の片隅にあるバーで俳優志望のナオミ(奈月セナ)と知り合ったことから、物語が動き出す。2人は急速に距離を縮め、譲治はナオミに夢中になる。一方でシナリオ講座の講師から、新しく製作される映画「痴人の愛」のシナリオを書かないかと誘われた彼はそれを引き受けて、自分の人生をかけて執筆に努める。譲治はナオミにのめり込み、その身体にひざまずく。一方で自身がこの世に生きる理由を求めるように、シナリオ執筆に励む。引き裂かれながら、彼が何をつかむのかというのが、映画の中心にある問いだ。 ナオミが譲治に興味を持ち、譲治がナオミにひかれる心理がきちんと描かれている。それは日常をはみ出たナオミが実は生々しい日々を生きていることを知らせ、譲治が虚無感と無力感の中でもがいていることを浮き彫りにする。なぜ、ナオミが譲治に決定的な影響を与えたのか。それがよくわかる構成だ。譲治も、そんなきっかけを無意識に求めていたのではないだろうか。譲治はどういう人間なのか。譲治自身は一体、何をやりたいのか。ほんとうのことをナオミは譲治に教えるようなのだ。