”全盛期の王貞治”を超える月収!?...夜職→逮捕→出所からクラブ経営をした女性の驚きの収入
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第77回 『金銭トラブルで“女の友情”にヒビが...服役中も寄り添い続けてくれた親友が愛想を尽かすほどの「ヤバすぎる所業」』より続く
同時オープンの日
出所から3ヵ月後の1975(昭和50)年11月、一条は和風スナック「一条」とクラブ「ぎおん」を同時にオープンする。 加藤は店舗を貸してはみたものの、「やっぱり2店もいっぺんに開いて大丈夫やろか」と思った。閑古鳥が鳴くようでは、保証金が取れない。夜逃げでもされたら、内装を元に戻すため改装も必要になる。 加藤が心配するなか、店はオープン初日を迎える。一条は午後4時ごろ店に入り、1人でトイレやテーブル、外の階段までも丁寧に掃除した。自分の店だと思うと、清掃作業は苦でもない。 5時半になると、アルバイトの女性やボーイが出勤してきた。一条は一人一人に頭を下げた。 「あたしはこういう商売は初めてです。素人やけど、助けてくださいね」 そして、6時に店を開けるとすぐに、押すな押すなとばかり客が押し寄せた。
人気は衰えず
一部のメディアが「伝説のストリッパーが開店」と報じたことで、話題となった。入りきれない客が自動販売機で酒を買い、ビル前の路上で「宴会」を始めるほどだった。その様子を見ながら、加藤は思った。 「かつてアソコを拝ませてもらったというだけで、こんなにも男が集まるんかいな。男はほんまにあほやな」 2店はそれぞれ6坪ほどの小さな店である。飲み代は1人2000~3000円。最初の月はウイスキーボトルを1000本ほど売り、売り上げは1000万円にもなった。加藤が見るところ、従業員への給与や諸経費を差し引いても月に500万円は残る。 開店からしばらくすると、一条は300万円を加藤に返済している。それを受け取った加藤は思った。 「このままだとすぐに蔵が建つな」 当時の500万円といえば相当値打ちがある。巨人軍、王貞治はプロになって18年の76年、年俸がようやく5260万円になった。月収に換算すれば約440万円だ。彼は翌77年、米大リーグ、ハンク・アーロンの755本塁打を抜き世界一のホームランバッターとなっている。一条の稼ぎは、世界の王と肩を並べるほどだった。 『かつて自分を逮捕した刑事まで!あらゆる男を話術で虜にする“元ストリッパー”のママが経営した「伝説の店」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)