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野坂昭如が綴る『火垂るの墓』の原点「食欲の前には、すべて愛も、やさしさも色を失った」

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婦人公論.jp

作家・野坂昭如(1930-2015)が亡くなってからもうすぐ5年が経とうとしている。そして今日、日本は75年目の終戦の日を迎えた。「おもちゃのチャチャチャ」などの作詞家を経て、「元祖プレイボーイ」として執筆活動をしていた野坂は、『婦人公論』1967年3月号に「プレイボーイの子守唄」という随筆を残している。同年10月に発表された「火垂るの墓」の原点ともいうべき作品だ。当時の誌面の前文には次のように書かれている。「私は溺愛の父親だ。娘の麻央を抱くと、戦争の日、私が殺した幼い妹を抱くような気がする。当代一の色事師が告白する鮮烈の記憶」ーー 【写真】ダンディな野坂昭如さんと娘・麻央さん ※本記事は、『新編 「終戦日記」を読む』(野坂昭如・著 中公文庫)所収「プレイボーイの子守唄」の抄録である * * * * * * * ◆ぼくは贖罪の心で麻央に対している 長女麻央は数えで四歳、満でいえば二年七ヵ月、モンキーダンスにチョコレート、塩昆布のお茶漬を好む。 ぼくは、いささか度を過ごした親馬鹿である。麻央が母親にしかられると、いても立ってもいられなくなってしまう。たとえ仕事中であっても、いかにも悲しそうに涙を流している彼女を抱き上げ、書斎へともなって、その笑顔のもどるまで、さまざまにご機嫌をとる。 だから麻央は、母親にしかられる、あるいはその予感に脅える時、朝でも夜中でも、あわてふためいてぼくの許へ逃げこんでくる。 母親がいくらきびしくしつけても、ぼくがこういう調子では、効果はない。とわかっていても、ぼくは、麻央がさらに成長したならともかく、今は絶対にしかれないのだ。 と、同時に、ゴーフル、クッキー、チョコレートのたぐいを、ただもう気まぐれに、あたらしいものから封を切り、ちょいと口にしては、ほっぽり投げる麻央をみていると、怒りとも悲しみともつかぬ、ある感情で激し、胸がつまる。 はっきりいってしまうと、ぼくは贖罪の心で麻央に対している、いや、育てているのだ。 ◆「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」 かつてぼくには、二人の妹がいた。 ぼくは生まれるとすぐに、神戸へ養子にやられ、小学校五年になった時、養家先では、もう一人、女の子をもらった。 昭和十六年四月のことで、この妹は名前を紀久子といい、よく肥っていて、体格優良児コンクールに出せばいいと、隣組の人などが無責任にそそのかしたのを覚えている。 角力(すもう)の稽古でおそくなり、夕方、家へかえると、六畳の茶の間にちいさな布団が敷かれ、赤ん坊が寝ていた。養母に「昭ちゃんの妹よ、かわいがってあげてね」といわれた時、その場はフーンと気のない返事をし、養母が台所へ去ると、とたんに赤ん坊の枕許に膝をつき、しみじみと寝顔にながめ入り、こみ上げるようなうれしさに襲われ、それを気づかれるのがいやで、表へとび出し、ニタニタと笑いつづけていた。

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