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今村均とジャワ軍政~陸軍内部の批判に応じなかった「真の軍人」

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PHP Online 衆知(歴史街道)

ラバウルでの指揮から見える能力

今村均は現場でどう戦ったか。 昭和17年(1942)11月から終戦まで続いたラバウルにおける指揮を見れば、有能な司令官だったことは明らかである。 第八方面軍司令官に補された今村がラバウルで採った方針の一つは、兵士を無駄死にさせないということだ。 日本の戦争で問題なのは、兵站の軽視である。典型的な例はガダルカナル島の防衛戦だろう。武器弾薬はもとより、食料さえも不足し、敵と戦う前に、餓えと戦う羽目に陥っている。 今村はラバウル防衛のために要塞化を進めただけでなく、兵士に畑をつくらせ、食料の自給体制を構築した。 今村自身も畑を耕したといわれるが、そのおかげで、補給を断たれてラバウルが孤立しても、餓死者を出すことなく頑強に守り抜くことができた。 「兵士を無駄に死なせてはいけない」 「兵站をきちんとしなければいけない」 当たり前のことを、今村は戦場で実行したのである。

保阪正康(ノンフィクション作家)

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