司葉子「亡き夫の蔵書数万冊、資料の山…処分できずにいるのは、生きた証と思えばこそ」
自信をくれた一枚の着物
夫は多趣味だったので、ゴルフの道具もあります。なかでもカメラの機材や、撮った写真を収めたアルバムが多いですね。毎年「世界らん展」の会場で写真を撮るのを楽しみにしていました。私が選んだ写真でカレンダーを作り、みなさんにお分けしていた時期もあります。自慢になりますが、よくできていたんですよ。 ありがたいことに、夫の洋服は引き取り先がすぐに見つかりました。舞台演出家の方が、「衣装として使わせてほしい」と、50着ほどの背広をもらってくださったのです。自分の服が舞台上で生き続けてくれたら、夫もどんなに喜ぶか。きっと役者さんに、掛け声をかけることでしょう。 人が一人亡くなると、本当に多くの物が残るのですね。将来子どもたちにかける負担を考えると、私自身が持っている物も、思い切って整理を、と思ったりもします。 出演した作品の台本は、お風呂やベッドにまで持ち込んで必死で覚えた思い出のあるものですから、私の手で処分することはやっぱりできなくて……。撮影所でスクリプターをしていた人に、「司さん、貴重な資料なんだから、絶対に捨てないでね!」と釘を刺されていますし(笑)。お洋服や着物は、夫の物と同じように、舞台やドラマの衣装として、いつか役立てていただけるかもしれませんね。 服や着物に気を配るようになったのは、デビューして間もないころ、ある方から「葉子ちゃん、外に出かけるときは一張羅を着なきゃだめだよ」とアドバイスをいただいたからです。 もともと私は女優を目指していたわけではなく、大阪の放送局で秘書をしていたとき、スカウトされて映画の世界に入りました。まわりを見渡すと、原節子さん、高峰秀子さん、越路吹雪さん、八千草薫さん、岡田茉莉子さん……と、もう、そうそうたるスターばかり。 本当にお芝居が好きで、演技の勉強をしてこられた先輩方が大勢いらっしゃる。そのなかにあって、素人の私はいつも引け目を感じていました。 ある年、光栄にも、東宝が毎年制作していたカレンダーに出させていただくことになりました。しかも、並みいる諸先輩方を押しのけて、私が1月に登場することに──。そのとき、せめて素晴らしい着物を着たいと思ったのです。そうでもしなければ、とても大役を果たせない、と。 ちょうどそのころ、日本橋三越で「日本の伝統工芸展」が開かれていて、会場に展示されていた友禅染の大家である森口華弘先生の着物を思い切って求めました。当時の年収のほとんどをつぎこんだでしょうか。博物館に収められる予定もあったという、本当に素晴らしい作品です。森口先生の友禅に龍村の帯を締め、撮影に臨みました。 以来、とっておきの日にはこの着物を選んでいます。平成2年の「即位の礼」に招かれて夫婦で皇居に上がったとき。そして今年3月、日本アカデミー賞の会長功労賞をいただいたときにも。賞をいただくのにちょっと派手かなとは思いましたが、授与式に着て行きました。 私の年齢になると、着物を子どもや友人に譲る方も多いのですが、まだ死なないつもりでおりますし(笑)、これだけは手元に置いておきたいと思っています。