「スポーツの熱狂」に距離をとっていた私が、それを渇望するようになったわけ
町全体があのスポーツに夢中だった
秋といえば、大学アメフト。 秋晴れの青空の下で、数万人の観客がスタジアムに流れ込む。みなチームカラーの服を着ていて、それだけで他人同士がいきなり互いに話しかけたり、ハイタッチしたりして、旧友のように振る舞う。チームがフィールドに登場し、バンドがファイトソングを演奏し出すと、一体になった観客は全力で応援の声をスタジアム中に響かせる。 サッカーの美しさとか、野球のロマンとか、近頃はラグビーの迫力とか云々、他の球技が賞賛されるのを耳にするが、その度に僕は反論したくなる。アメフトほどではないだろう。ワイドレシーバーがコーナーを振り切って片手でディープ・ボールを空中で掴み取った瞬間。ディフェンシブラインを真っ二つに分け、ゴールを目掛けて駆けていくランニングバックの姿。相手チームが蹴ったフィールドゴールを奇跡的にブロックし、拾ったボールをそのまま相手のゴールへ届けた逆転勝利の高揚感。この球技は単なるスポーツではなく、人間を使ったチェスなのであり、いくら観ても興味は尽きない。 最高レベルのプレイを求めるなら、プロリーグのNFLがある。全国の大学から厳選された、異常なほど研ぎ澄まされた神経と筋肉と才能の持ち主しか入れないリーグだ。しかしプロリーグの質は認めても、僕に言わせると大学アメフトの方がずっと面白い。甲子園のファンならこの感覚を理解してくれると思うのだが、大学アメフトの試合にはアマチュアスポーツならではの迫力がある。それにファンの熱量も違う。プロチームをいくら熱心に応援していても、それは愛校心には敵わない。 僕は母校のチーム、クレムソン・タイガーズを応援している。1896年に結成された、名高いチームだ。1900年から1903年まで、現代アメフトの父と呼ばれる伝説の監督ジョン・ハイズマンに率いられた。1981 年には全国優勝を果たした。僕が入学した時点ではチームは何十年にもわたって低迷していて、いつも全国トップ20チームに入るか入らないかの微妙なシーズンを繰り返していたが、それでもアメフトは多くの学生にとってキャンパスライフの一部というよりも、その中枢をなすものだった。 日本の大学スポーツに親しんでいる人にアメリカの大学アメフトの規模を伝えるのはなかなか困難だ。母校ではキャンパスの真ん中に、8万人を収容するスタジアムが聳え立っている。お城を髣髴させる巨大な建築物で、それを囲む図書館も教室棟も学生寮もすべて城下町に過ぎない。大学に所属する学生や教職員を全員合わせても3万人そこそこで、大学が位置する小さな町の総人口は2万人を下回るのだが、それでも試合の開催日のスタジアムは確実に満席になる。サウスカロライナ州はプロチームもないし、多様な娯楽を提供するような都市部もないので、大学を出て近くに住み着いた多くの卒業生にとっても、大学アメフトは地域の重要な文化だ。 実を言うと、僕は大学に入学するまでアメフトに興味はなかった。入学の際、1年生のぼろぼろな男子寮に入ると、自分の部屋にすでにタイガーズの旗だのポスターだのを飾っている学生が多くいた。話を聞くと親の世代、祖父母の世代、ときにはその前からクレムソンを応援している家系だったと言う。そんなに堂々とした、何の照れもない帰属意識を見たのはその時が初めてで、なんだか恥ずかしく感じるものがあったが、周りを見るとその感覚を持った僕は明らかに少数派だった。 在学中も、それほどファンになったわけではない。友人と一緒に試合を観に行き、クレムソンのチームカラーであるオレンジと紫の派手なTシャツを買って、ゲームデイになるとみんなと同じように着た。だがそれを着ている自分の姿を鏡で見ると、冷ややかなアイロニーを感じることに変わりはなかった。熱心なサポーターからすると僕はいわゆる「にわか」に過ぎなかっただろう。年に数回の試合の観戦は楽しかったし、アメフトの応援は学生生活の一部だったが、その雰囲気に呑まれて我を忘れ、チームや他のファンと一体化することは在学中はなかった。本物のファンへと変容を遂げたのは、そのずっと後だった。