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マリア像が無残な姿に…戦争に感じた理不尽さ

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西日本新聞

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争

 西日本新聞長崎総局は被爆地長崎で、戦争体験の有無にかかわらず、世代やジャンルを超え、平和の継承に取り組む人たちに目を向ける。戦争経験のない長崎市在住の画家が平和を祈り、長年にわたって戦争を題材に制作してきた作品を連載で初めて紹介する。戦争で払った犠牲の大きさ、懸命に生きた人たちに思いを寄せる。 【写真】キャンバスに向かう画家・ウエダ清人さん    ◇         ◇  長崎原爆が投下される前、旧浦上天主堂にあったマリア像はイタリアからもたらされた木製の高さ約2メートルで、目には青いガラス玉がはめ込まれていました。カトリック信者の私にとって、聖母マリアは愛情や優しさの象徴です。慈愛に満ちた表情で礼拝者を見守っていたことでしょう。  原爆によって旧天主堂は破壊され、がれきの中からマリア像の頭部だけが見つかりました。熱線によって頬(ほお)と髪は黒く焼け、目は空洞になりました。今は「被爆マリア」と呼ばれます。自らを犠牲にし原爆がもたらした惨状を私たちに伝えようとしたのでしょうか。  信者の一人として、被爆マリアの境遇と周辺に住んでいた8500人もの信者が犠牲になったことを重ねて考えます。信者で医師の故永井隆博士は、浦上の犠牲によって戦争が終わったとする「神の摂理」を説きました。長崎が世界で最後の被爆地となることを願って信者たちを慰めたのです。  永井博士の摂理は疑問も残しましたが、その後、来日したヨハネ・パウロ2世が「戦争は人間の仕業(しわざ)」と明言したことで、信者の心は解き放たれたといわれます。  私が被爆マリアを初めて知ったのは教員になった1981年ごろです。当時は先輩の美術教諭たちが長崎で被爆遺構を題材にスケッチしており、一緒によく出かけました。その時、目にしたのが実物だったのか、写真だったのか、はっきりとは覚えていませんが強い印象を受けました。  体は爆風でバラバラになったのか、それとも燃え尽きたのか知るすべがありません。ただ頭部だけになった像は、何かを訴えているように感じました。せめて私の絵の中だけでも失われた体を取り戻したいとの思いで筆を執りました。  この絵に光が差し込むのは、これまでの戦争の語り部の話などから、原爆当日は、長崎の上空には雲があったものの晴れていたと聞いたからです。そこにB29爆撃機が現れ、落とした原爆によって空は一変。巨大な原子雲で覆われ、その下では大勢の市民や信者、マリア像が無残な姿になってしまったというやるせない思いがあります。  長崎に大きな犠牲を強いた戦争の恐ろしさ、理不尽さを感じざるを得ません。

ウエダ清人

 本名・上田清人(きよと)。1952年、新上五島町の有福島生まれ。中学教諭の傍ら創作にも励み、西日本美術展や上野の森美術館大賞展などで入賞。退職後も大地や長崎・天草の教会群をテーマに制作を続け、作品は数千点に上る。2017年、長崎市街地を見晴らす風頭山頂近くに「風の大地美術館」をオープン。自身や地元作家のほか、発表する場が少ない障害者や若者らの作品も無料で展示する。長崎原爆の日に合わせ、これまで40年近く地元の美術仲間たちと「ながさき8・9平和展」を開いており、応募があった一般作品の展示を通じて、平和を呼び掛ける活動もしている。 ※記事・写真は2020年01月07日時点のものです

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