【震災とイエ】放火された自宅の跡地で
活動を始めた当初は、どうして故郷の地に住んではいけないのかと、行政と全面的に対立していた。しかし貴田さんは最近、それでは進まないことがあると悟り始めた、と話す。この日、貴田さんの元には仙台市の職員が訪れていた。前向きな対話ができた、と貴田さんは評価している。
仙台市は荒浜小の校舎を、震災の記憶を語り継ぐ「震災遺構」として残すことを決めているが、荒浜全体の土地の用途は具体的には決まっていない。荒浜を、どのような場所として残していくか。何を残し、何を語り継いでいくべきなのか。市との対話が始まっている。貴田さんは話す。 「ここには自然の宝がたくさんあるから。今は難しくても、いつか、元住民がこの場所を訪れたくなったときのために、荒浜を再生しておきたいのです。『荒浜』という地名を、将来まで残す。どこまでも、それを目標にやっていく」 (文・写真 安藤歩美/THE EAST TIMES) 【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」 東北には先祖代々からの土地を何百年と受け継ぐ家も多く、今日までその土地や「家」に根ざした文化や信仰が生き続けてきました。震災で家が流され、突然先祖や土地との連続性を断たれたとき、そこには、物理的な「家」の破壊以上の喪失があったのではないでしょうか。あの日、何が失われたのか。今もう一度考察してみると同時に、震災から5年近くが経ち、被災した人々と家、土地との関係にどんな変化が起きているのかを探ります。