ドラマ『ライオンの隠れ家』は家の中に隠されてきた「障害」や「虐待」を外へ引っ張り出そうとする物語
隠される側ではなく隠す側に
本作の興味深い点は、虐待を受けていると思われる「ライオン」を、みっくんたちが隠すことだ。障害のあるみっくんは、隠される側ではなく、隠す側に転換している。 正体不明だった「ライオン」は、実は洸人とみっくんがある時期にステップファミリーとして一緒に過ごした姉・橘愛生(たちばな・あおい/尾野真千子さん)の子どもであった。愛生が家出をしてから姉弟は会っていなかったが、愛生のなかでは「自分を受け入れてくれた唯一の家族だった」記憶として残っていた。 夫から虐待・DVを受けた愛生は、みっくんたちを頼り、夫から隠すために「ライオン」を託すことにしたのだった。 障害者が隠されてきたことと、虐待を受ける子どもを隠すことでは、背景も意味もまったく異なる(それでも子どもを無許可で家に住まわせることは犯罪だろうが、フィクションなのでいったん脇に置いておこう)。 虐待・DVは、家庭の中に隠されてしまう。洸人の同僚の牧村美央(まきむら・みお/齋藤飛鳥さん)は、保育士だったとき、家庭に介入できなかった後悔を抱いている。虐待が心配される子どもが園にいたものの、保護者に気圧され、隠しきられてしまったのだ。結果として、子どもは亡くなってしまった。 明治民法は「法は家庭に入らず」の精神を持っていたといわれる。家庭で問題が起きても、法が入るよりも家庭内での解決が求められる傾向がある。今でもそれは地続きになっている。 例えば、公的な福祉サービスを受けるにも、親と同居している場合には「家庭内で対応できる」と考えられ、受けられないことがある。そのため、福祉サービスを受けるために一人暮らしを始めた人を私は知っている。日本において、良くも悪くも家庭は強い。その両面を「隠す」という切り口で描いているのが、本作と言えるだろう。
みんなで責任を持つ
みっくんの暮らしは、自閉症の特性に合わせて環境設定が十分になされている。 家にはカーテンで仕切られた個室空間があり、好きな動物図鑑が置かれている。色へのこだわりが強いため、いつも配色カードを持ち歩き、街にある色のカラーコードを確認する。パニックになったときには、ゴーグルをつけて対処する。決まった時間に朝食を食べるなどのルーティーンも整っている。 しかし、子どもである「ライオン」は、環境を悪意なく壊していく。障害のある人の環境設定を壊すことは、一般的には良くないこととされる。それは正しい。ただ、社会で生きていくこととは、壊され、折り合いをつけ、また新しい環境を作っていくことでもある。 愛生と「ライオン」は、生活や尊厳を壊された。おそらく夫が悪意を持って。愛生は、愛する「ライオン」を家族と家族の間で移動させることで、生き延びさせようとした。結果として、みっくんたちの環境は壊された。しかしみっくんは新しい環境を受け入れ、「ライオン」を家族の一員として認める。 家庭に隠されていたものを引っ張り出していくのがこのドラマだ。環境が壊されたら、作り直す。巻き込まれていくことに、みんなで責任を持つ。一人ひとりが持ち場を守っていく。 第7話以降、虐待・DVをしていた父親が血眼になって「ライオン」を捜す様子が予告されている。 さて、本作のタイトルは『ライオンの隠れ家』である。みっくんたちの作る「隠れ家」は、どのようにかたちを変えていくのだろうか。みっくんは、何を隠し、何を表に引っ張り出していくのだろうか。障害や家庭の観点からも注目していきたい。
文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版