お酒とともに知的な会話を、「アカデミックパブ」が若者に人気 表現の自由狭まる中国
「権威の存在しない場所」
最近芸術学部を卒業したシナモン・ウーさんは中国の上位の大学2校から車でわずか10分のところにある北京のバーで、中国系米文学の進化に関する講義に参加した。 この集まりでは、中国系米国人の移民が見知らぬ土地、そして時には敵対的な土地で、どのようにして自分たちの居場所を見つけたのかについて焦点を当て幅広い議論を引き出した。しかし、ウーさんが驚いたのは、米国の大衆文化における「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ、ポリコレ)」の明らかな影響力について批判する人がいたことだった。ウーさんは、こうした知的なイベントの参加者が保守的な意見を持っているとは思っていなかった。 イベントの主催者のジェリー・ジャンさんはCNNの取材に対し、「異なる意見の衝突が、こうしたパブでの講義の価値の一部だ」と述べた。 中国のネット空間には、米国の文化におけるポリコレや「ウォークネス(社会正義意識に目覚めることを意味する造語)」に対する批判があふれているが、ウーさんは、学内を含む物理的な公共の場で、そのような意見がこれほどオープンに語られるのを耳にしたことがなかった。 「政治的な見解を教室で発表することは実際には難しい。それがよほど主流で揺るぎのないものでない限り」とウーさん。「しかし、パブという権威のない場所では、人々は自身の意見を口にする可能性が高くなる」 ウーさんによれば、中国の学生には「教師は常に正しい」という考え方が幼いころから植え付けられている。批判的な思考が奨励されるべき大学でさえ「教師は依然として揺るぎない権威だ」と感じているという。 中国の大学の教師たちは、政府から「共産党のための教育」という使命を課されており、政治的な「越えてはならない一線」を越えてしまうかもしれない論争を避けなければならない。このため、政治的な議論を奨励することはめったにない。 公開の討論では不安を覚える意見もいくつか出たが、ウーさんはそれでも、このアカデミックパブは「訪れる価値がある」と語った。 「気取らない環境で人々がオフラインで集まり、文学や社会について議論するのを見るのは新鮮だ。我々一般人も公の場で会話することができるような気がする」(ウーさん)