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アジャコングさん 亡くなった母が枕元で伝えた「とにかく食え!とにかく寝ろ!」【レスラーめし】

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メシ通

1986年に全日本女子プロレスでデビューし、ダンプ松本さん率いる「極悪同盟」、そしてブル中野さんの「獄門党」と伝説のヒール軍団で若手時代を過ごし、トップレスラーに向けて経験を積み上げました。 なかでも長らく中野さんの付き人を務め、その後は敵対して血で血を洗う抗争を2年近く続け、そのなかで行われた1990年11月14日横浜文化体育館でのブル中野さんとの金網デスマッチは、女子プロレス界歴代ベストバウトとして名高い一戦です。 また、それまで女性ファンが圧倒的に多かった女子プロレスに男性ファンを呼び込んだことでも知られ、東京ドーム興行を開催するにまで至る90年代の爆発的な女子プロレスブームを導いた選手といえます。 全女退団後はアルシオン・GAEA JAPANなどに参戦し、近年はOZアカデミーに所属しながら各団体で活躍中。またケニー・オメガ選手らが参加したAEWなど海外マットに上がることも多く、国内外からのリスペクトを受け続ける選手です。

思い出の味は「マリオンクレープ」

取材冒頭、このコロナ禍の中でのめしの話を聞いてみると、「3日に一度くらいスーパーに行って、肉とか野菜とかお得な食材買って、適当に作って食べてましたね。洗い物も面倒なんでワンプレートで!」と、ずっと自炊生活だったそう。 立川基地で働いていた米兵の父親と日本人の母親のもとで生まれたアジャ選手。 まだ幼い頃に父親が本国に帰ることになり、母親との二人暮らしを余儀なくされ、そのため早くから自らご飯を作ることに。そんな事情もあって、昔から自炊にはまったく苦労がないのだとか。 アジャ:うちは母子家庭だったんで、母親がほとんど毎日働きに出てたんです。だから小さい頃は親が作ってくれたんですけど、小学校3年生くらいからはわたしが作ってましたね。宅配の「タイヘイ ファミリーセット」ってあるじゃないですか? それで食材が送られてくるんで、自分で作ってたんですよ。 ──自炊は小学3年生から! 早いですね。 アジャ:母親が働いてるから自分でやんなさい、って言われて育てられたんで、他の家はどこもそうだと思ってましたね。 ──どのくらいのペースで作ってたんですか? アジャ:夕飯はもう毎晩ですね。だから「子供の頃から料理やってる」って言うと「料理上手なんだね」って言われるんですけど、自己流なんで、きれいに盛り付けたりは出来ないんですよ。とりあえず食えりゃあいい! 人様に見せられる料理は出せない!(キッパリ) ──そんななかでお母さんが作ってくれた料理で思い出のものってありますか? アジャ:仕事休みの時に母親が作ってくれたもので覚えてるのは、水餃子ですね。皮は買ってくるんだけど、中身のあんはウチで作って、スープ餃子みたいにして食べる。美味しくていくらでも食べちゃう。ただ手間暇かかるんで2、3カ月に1回くらいしか作ってくれなかったんですけど、あれは週イチでも食べたかったですね。 ──中学生くらいになってから、料理に変化はありましたか? アジャ:中学になってからは、自分でスーパーで好きなもん選んで買って作るようになりましたね。そこから今まで、ぜんぜん変わってないです。 ──学生時代、友達と食べたり飲んだりした思い出はないですか? 学校帰りとか。 アジャ:中学時代は学校帰りの買い食いは禁止で、バレると部活停止になるからやらなかったんですけど、すげえ遠回りして学校から離れた隣の学区まで行ってやってましたね! あと休みの日に友達と吉祥寺とか、あと原宿とか渋谷に行ったりしてました。特に原宿はクレープ! ──マリオンクレープですか? アジャ:そうそう! 行ってたね~。行列に並んで、クレープとブルーハワイのドリンク買って。いま思えばブルーハワイとか、他のシロップとそんなに変わらないんだけど、憧れだったよね! 竹下通りをクレープ食べながら歩くってやりましたよね。今のタピオカみたいなもんですよ。クレープをベッチャベチャ口につけて歩いてたからね、人にくっつけそうで危なかった(笑)。 ──原宿は定期的に遊びに行ってたんですか。 アジャ:月に1回くらいかな? しばらくして立川にマリオンクレープに似たような店が出来て、そこで食べるというのが立川でいちばんのオシャレになったんですよ。立川が週に1回で、2週に1回が吉祥寺、月イチか3カ月にいちどで原宿。原宿はお小遣いも貯めて行かなきゃいけないんで、お年玉もらったりするタイミングでないとハードルが高かったですね!

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