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新型コロナで“泣きっ面にハチ”の百貨店、今こそ「原点回帰」を図るとき

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競争の末に失われた百貨店のオリジナリティ

 とくに地方都市で百貨店が苦境に陥っているのはなぜだろうか。考えるにモータリゼーション、ネット通販、迷走気味のポジショニングの3つある。前のふたつが外的要因、もうひとつは百貨店の内的要因と言える。山形市を例に考えてみる。  第一の要因がモータリゼーションである。山形市でも70年代ころから中心街の駐車場不足が問題視され、店舗ごとに立体駐車場を整備するなど対応してきた。  その後もモータリゼーションは進展し、90年代後半になると一家に2台の自家用車を持つケースが増えてくる。大型店の進出をきっかけに郊外店舗が点在していたロードサイドから新たな商業拠点が成長した。97年には中心市街地の北側、2000年には南側に2万平方メートルクラスの大型ショッピングモールが開店。両者の店舗面積を合わせると4つの百貨店と互角の勢力となる。百貨店が集積する中心商店街を南北からはさみうちにする格好になった。  さらに山形市特有の事情として買い物客の仙台市への流出がある。高速道路の拡幅によって仙台市との往来が増えた。これもモータリゼーションの内に含まれよう。  第二の要因はネット通販の台頭である。これは百貨店に限らずリアル店舗全体にとっての脅威だ。書店、CD/DVD店だけでなく家電量販店、酒販店など重量物も深刻だろう。これまでマイカーで郊外の量販店に乗り付けてまとめ買いをしていたものが、ネット通販では郊外の大型倉庫から宅配便で届けてくれる。買い物動向調査によれば、2018年における山形市世帯の買物流出先は第3位の仙台市を上回り通信販売が第1位だった。  第三の要因は百貨店業態のあり方そのものにある。70~80年代は百貨店の全盛期ではあるが、中心街に進出してきたスーパー資本との競合の末、百貨店が「百貨店らしさ」を失い単なる大型店になってしまった。たとえば山形市中心街には67年に長崎屋、72年にダイエーとジャスコ、73年にニチイが出店(後に山形ビブレに業態転換)。74年には山形初のファッションビル、セブンプラザが開店した。  業種分類こそスーパーマーケットだが、主に住宅街にチェーン展開し、食料品を主力とするスーパーとは違っていた。品揃えはむしろ食料品以外の商品が多く、1階に化粧品や服飾雑貨、2階より上に婦人服、紳士服そして最上階にレストランというような、百貨店とよく似たフロア構成の大型店。今でいう総合スーパー(GMS)と言われる業態である。消費者にすれば昔からあった百貨店と見分けがたい。  続々と進出するスーパー系のGMS、ファッション中心のテナントビルに対し、百貨店もまずは規模拡大で応酬する。山形市、大沼百貨店も4階建て5500平方メートルだった店舗を71年までには7階建て18000平方メートルに増築した。ここで着眼したいのは、この時期の地方百貨店の特徴として、規模だけでなくコンセプトや品揃えも競合他店に同化していったきらいはないかという点である。「より良い品をより安く」を追求したこと、大型化を進める過程でテナント中心の売り場構成になったことで伝統的な百貨店のポジショニングが揺らぐ。同じ土俵に乗ってしまった末にモータリゼーションや資本力で競争劣位に陥ったパターンである。

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