ハリウッドでも活躍する森崎ウィン 今注目の俳優が語る仕事にかける想い
スピルバーグ監督作『レディ・プレイヤー1』で、ハリウッドデビューを飾った森崎ウィン。 【関連】「癒し系“純愛BL映画”」でW主演 躍進続く竜星 涼にインタビュー! 最新主演作『妖怪人間ベラ』ではさらなる新境地を開いたミャンマー出身の彼が、俳優として、歌手として、12年間に及ぶキャリアを振り返る。
●10歳のとき ミャンマーから移住
――ミャンマー人の両親を持ち、ミャンマーで生まれ育った森崎さんですが、幼い頃の夢や日本のイメージは? 小2のときに、学校のサッカークラブに入って、ゴールキーパーをやっていましたが、将来の夢は、特にありませんでした。 両親が日本勤務だったこともあり、祖母と一緒に暮らしていましたが、日本に行きたい気持ちもありませんでしたね。日本のイメージは、ミャンマーに比べ、物価が高い国という程度のものでした。 ――その後、10歳のときに日本に移住し、14歳で現在の事務所(スターダストプロモーション)にスカウトされます。 恵比寿を歩いていたときに、スカウトされたのですが、当時流行していた芸能事務所を偽った詐欺だと思いました(笑)。 いざ、事務所に行ったら、本当だったことに驚き、習い事をする感覚で、週1のダンスと演技のレッスンに通うことにしました。その後、ボイトレも受けさせてもらえるようになりました。
●俳優としての厳しさを知った 阿部寛の一言
――そして、08年にはドラマ「学校じゃ教えられない!」で俳優デビューするほか、ダンス&ボーカルユニット「PRIZMAX(プリズマックス)」メンバーに加入されます。当時は路上ライブもされていたようですが、ご苦労もあった? ドラマに関しては、やっとオーディションが受かったので嬉しかったです。プリズとしての活動は、すでに人気があったグループに、後から加入しただけなので、路上ライブにもお客さんがいっぱい来てくれましたし、苦労は特にありませんでした。 ただ、その後、法律が改正されたことで路上ライブができなくなり、どんどん活動範囲が狭まって、メンバーも抜けてしまったんです。 13年、5人組としてCDデビューできるまでの2~3年間は、「この先どうなってしまうのか?」という不安でいっぱいでした。 ――俳優としては、11年に実在したバンドの話を映画化した『天国からのエール』で演じられたドラム担当・カイ役が印象的でした。 お芝居も音楽も、どちらもやりたいという気持ちでいっぱいだったのですが、この作品の現場で、僕の芝居に対して、主演の阿部寛さんが「そのセリフ、グッと来ない」と仰られたんです。 そのとき、プロの俳優としての厳しさを知りましたし、自分の無力さにも気付かされました。そうやって、いろんな作品でいろんなことを少しずつ学ばせていただきました。