大人たちは靴をかじりながら餓死、子どもたちが「死のう」と思ったその時に…N響特別コンマス篠崎史紀が巨匠フェドセーエフに聞いた「凄まじい体験」
ロシアの世界的指揮者、ウラジーミル・フェドセーエフは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」に特別な思い入れがあるという。そこには想像をはるかに超えた深い理由があった……。日本を代表するヴァイオリニストで、著書『音楽が人智を超える瞬間』の発売を控える篠崎史紀氏が、フェドセーエフ本人から聞いた、幼い日の壮絶なエピソードを語る。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
「くるみ割り人形」のテンポが……
2013年に初共演して以来、N響(NHK交響楽団)の定期公演にたびたび来日した彼の5回目の来日は2018年12月。曲目はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」。 リハーサルが始まったのだが、フェドセーエフのテンポはかなりゆっくり。 「ん? どうした?」と、楽団員たちはみんな同じ気持ちだったと思う。 休み時間、私は管楽器の面々から呼ばれた。 「息が苦しい」「エスプレッシーヴォ(イタリア語「表情豊かに」という意味)できない」と、みんなが口々に訴えてくる。私たちは弦楽器だからまだいいが、たしかに彼らは息が持たないだろう。私は、彼らに約束した。 「わかった。今日、じいちゃんとご飯食べに行って話してみる」 フェドセーエフは1932年生まれ。このとき86歳。あんなゆっくりなペースでは、立って指揮をする彼だってたいへんだろう。 その夜、私は彼を誘ってステーキを食べにいった。楽団員たちもたいへんだし、テンポアップして、と頼むための食事会だ。年下の指揮者になら「このままだとよくないよ」と言える。でも私の父よりも年上のフェドセーエフにはストレートには言いにくい。
「死のう」と思ったときに流れてきた
「マエストロ、この曲ものすごく好きなの?」 探りを入れるべく、切り出した。 「俺の生まれたところ、知ってるか」 問い返され、思わず息を呑んだ。私は(やばい。彼の出身地はレニングラードだ)と、ドキドキし始めた。 「第二次世界大戦、知ってるか」 彼は静かに話し始めた。1941年から1944年まで900日間近く、レニングラードはドイツ軍に包囲された。犠牲者は100万人とも言われ、死因のほとんどが餓死。 フェドセーエフは9歳から12歳の間。大人は子どもたちに食べ物を与えてくれ、自分たちは靴などを齧っていた。子どもはもしかしたら死んだ人の肉を食べていたかもしれない。あまりにも人が死んでいくので、すべての感覚が麻痺していたという。 私はステーキが焼ける鉄板を前に、その話を聞いていた。 子どもたちは集まり「大人たちが死んでいくのに、僕たちは生きていていいのか」と話し合った。自分たちも死のう。そう思ったとき、ラジオから「くるみ割り人形」の音楽が流れてきたという。 クリスマス・イブの夜、くるみ割り人形をプレゼントされた少女がおとぎの国へと旅をする。「くるみ割り人形」の曲を、彼はそのときどんな思いで聴いていたのだろう。