「きみたち日本人はアメリカにこんな残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」田中角栄待望論がいまだ根強いワケ
田中角栄が首相の座を射止めたのは1972年7月。まもなく50年の節目を迎える。その手法は金権政治の象徴とされる一方、いまの政治家には期待できない豪腕ぶりから、数年おきに“角栄待望論”が巻き起こる。 【画像】「しがない馬喰のせがれには、これしか…」と涙を流した田中角栄 50年の時を経ても国民に語り継がれる田中角栄の“凄み”とは何なのか――。 角栄をモデルにした人物が八面六臂の活躍をみせる小説『 属国の銃弾 』(文藝春秋)を上梓した作家の永瀬隼介氏が寄稿した。 ◆◆◆
“タフな日本人”田中角栄が持つ魅力とは?
「きみたち日本人はアメリカにこんな残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」 場所は広島の原爆資料館。発言の主はエルネスト・チェ・ゲバラ。言わずとしれたキューバ革命の英雄である。 革命後、新生キューバの国立銀行総裁として来日(昭和34年)した31歳のゲバラは、「原爆の犠牲者たちの霊を弔いたい」と独断で予定ルートを変更して原爆資料館を訪問。原爆慰霊碑に献花を行い、1時間ほど見学した後、同行した広島県職員にこの台詞を放っている。 ――落雷にも似たゲバラの怒りの言葉をがっちり受け止め、押し返せるタフな日本人は田中角栄しかいないだろう――。 拙著『属国の銃弾』の背景には、いち物書きの、こんな独りよがりの妄想があった。 戦後の焦土で日本がひっくり返るような狙撃計画を企て、高度成長期の日本でゲバラの言葉に激怒し、覇権国家アメリカと渡り合い、日本国を自在に切り回す快男児を描くとしたら、モデルは田中角栄以外、考えられなかった。
テロリストにも似た「冷徹さ」
折りも折り、今年は田中角栄が54歳で総理に就任して50年という節目の年である。この半世紀の間、角栄は幾度かブームを迎え、政治家としての評価もめまぐるしく変化してきた。 私は拙著の執筆に当たり、毀誉褒貶相半ばする彼の破天荒な人生を改めて調べてみた。すると意外な側面に目を留めることになった。既存の価値観をぶっ壊して毛筋ほども感情の揺れを見せない、冷徹なテロリストにも似た、底の知れぬ恐ろしさである。 昭和史研究の第一人者、保阪正康の『田中角栄の昭和』にこんな件りがある。 《田中は首相在任中も、天皇に対してとくべつな感情を示していない。吉田茂や佐藤栄作とは違い、〈臣角栄〉という感情はほとんどもっていなかったように思える》 その最たるものが内奏(天皇に対し、国務大臣等が国政の報告を行うこと)である。 天皇の質問に対し、普通は政府の包括的姿勢を恭しく二言三言で答えて終わるところ、角栄は臆することなく詳細に、数字を羅列し、自らの考えも交えて徹底して語り尽くすのだという。天皇も周囲も戸惑う。当然だ。憲法上、天皇は政治に関与できない。突っ込んだ話し合いをすると批判も出てくる。しかも、内奏を終えるや「不肖田中にまかせてください」と胸を叩いてみせたとの逸話もある。 保阪は《無作為の国体破壊者》という刺激的な言葉を用い、角栄の知られざる実像を探る。