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【陸上】日本初の男子中距離プロチーム「阿見AC SHARKS」発足のストーリー

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月刊陸上競技

 茨城県阿見町を拠点する阿見アスリートクラブがこの春、選手2人を新たに迎えて「プロ中距離チーム」を立ち上げた。これまでは楠康夫理事長の次男である楠康成がクラブ所属のプロ選手として活動していたが、そこに2015年のインターハイ覇者である田母神一喜(中大卒)と飯島陸斗(早大卒)が加わり、阿見アスリートクラブの「中距離トップチーム」としてスタートを切った。  駅伝での宣伝効果もあって長距離の実業団チームは各地にあるものの、男子中距離に特化したプロチームは日本国内では初めてだ。「トップチームを作ることは私の夢でした」と楠理事長。地方のクラブチームがどのようにしてプロチームを立ち上げたのか、そのストーリーを追った。

楠の「プロ化」が契機

 阿見アスリートクラブが創立されたのは2000年。楠康夫理事長が小学生だった長男の康平とその友人たちを指導したことがすべての始まりだった。最初は「アスレッコクラブ」という名で発足し、規模が大きくなり始めた04年には「NPO法人阿見アスリートクラブ」を設立。06年には楠理事長が25年勤めたヤクルト社を辞め、クラブの経営に専念している。  クラブの規模は年々大きくなり、多くの全国大会出場者や優勝者を輩出した。そんな中、2017年に転機が訪れる。楠理事長の次男で、中距離のトップランナーに成長した楠康成が、当時所属していた実業団を退社したいと相談してきたのだ。そこで、18年に康成をクラブ所属のプロ選手とし、スポンサーを募って活動のサポートを始めた。 「1500mにこだわってやってきたのに、リオ五輪(16年)にはかすりもしなかった。それで、世界に出たいと考えて、憧れていたレオ・マンザーノ選手(米国)にSNSでメッセージを送ったんです。そうしたらコーチを紹介してもらい、『アメリカに来れば指導してあげるよ』と言われました。それで、実業団を辞めてプロになるしかないと考えました」(康成)  17年からの約1年は米国でもトレーニングを積み、ライアン・ポンソンビー・コーチに師事してマンザーノとともに汗を流した。現地では男子800m前日本記録保持者である横田真人コーチと出会って意気投合。ライアンコーチの勧めもあって康成は18年から東京に拠点を移し、新谷仁美や卜部蘭(ともに現在は積水化学所属)らが活動する通称『チーム横田』の一員として横田コーチに指導を受けるようになった。  同時に「阿見アスリートクラブ東京支店」を立ち上げ、中高生や市民ランナーへの指導も開始。そこにアシスタントコーチとして参画したのが田母神一喜と飯島陸斗だった。  なかでも田母神は大学1年から4年の前期まで横田コーチに指導を受けており、康成が東京に拠点を移す際には同じく中距離が専門の中谷浩崇(当時慶大)と3人でシェアハウスをすることになった。その頃から康成は田母神に冗談半分で「阿見ACで一緒にやろうぜ」と声をかけていたというが、本気ではなかった。田母神のほうも実業団での競技継続を希望していた。

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