夜には死刑執行「この俺を殺さんとするのは空気を棒でたたく様なもの」不屈の特攻隊長~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#63
「私は宇宙」の境地
幕田大尉はこの前年、「悟りの境地に至る」という不思議な体験をした。それは死刑囚が収容されている五棟の中で話題となり、具体的にどうすればその境地にたどりつけるか、質問した人もいたが、幕田大尉は明確な答えを持ってはいなかった。その体験について、死刑の直前に次のように語っている。 <世紀の遺書 幕田稔> 一昨年九月頃から、文字通り、ただ「仏の実在か不実在か」をあきらめんとして、五里霧中の暗黒を彷徨いつづけた。文字通り寝食を忘れた精神が、全く莫迦げた私の三十年の人生にとり、一点の光明であったと信ずる。よくあの時の精力と根気がつづいたものだと顧みて吾ながら感心する。そして昨年五月二十五日が私の人生の永遠に再生した日であった。 何の理屈もいらない「吾即宇宙」。もちろん、如何にしてそんな結果になったのか。そんな事は夢にも考えていなかった私にわかろう筈もない。ただ釈尊も、このちっぽけな私も、根本においては一つであったのだ。否、釈尊がそのまま、私であったと感ずる所から来る自己の不遜に対する畏怖、気が狂ってしまったのではないかとの自己に対する疑い―この幻覚を払い落さんとして頭をふり、部屋を見廻して異状の有無を確かめたりした事だった― 次でこの世の中で苦労し悩む人々に対してどうしてこんな理屈も何もない簡単な事がわからないのかとの憐憫とも憤懣ともつかない涙がぽろりぽろりと落ちた。 〈写真:スガモプリズン〉
腹の底から湧き出る笑い
<世紀の遺書 幕田稔> 次に頭に浮かんだのは「私は正に処刑されんとしているが、なあんだ、これは大宇宙を殺さんとしているのも同じ事ではないか、しらざる者の阿呆さよ」と腹の底から湧き出んとする哄笑(こうしょう)を止めんとするのに一苦労した事であった。 この噴笑の衝動は、その後、座禅しているときしばしば起こり、隣の佐藤(吉直)氏を驚かしてはいけないと止めるのに骨折ったのが、昨日の事の様に私の頭にこびりついて離れない。 〈写真:世紀の遺書 幕田稔の頁〉 「今ごろ、この俺を殺さんとするのは、丁度空気を棒でたたく様なものだ。吊り下げたと思ったら、あに計らんや、虚空の一角に呵々(かか)大笑するを聞かざるや」 思はず脱線して大風呂敷をひろげている様な格好になってしまった。昨日から書き初めた漫談であるが遺書を書かなければならぬので、一先ず筆を置く。 外は霧雨がけむっている。 〈写真:幕田大尉と同室だった佐藤吉直大佐〉 昨日というのは、死刑囚の棟から連れ出された4月5日。そして死刑執行は、4月6日の夜、日付をまたいだ7日午前0時半だ。この日、東京は雨。雨音を聞きながら幕田大尉は、今度は家族への遺書にとりかかったー。 (エピソード64に続く) *本エピソードは第63話です。