なぜM-1は国民的行事になり、紅白はオワコン視されるのか…2008年の放送を見ればわかる両番組の決定的な違い
■紅白が高視聴率だった「3つのS」 芸人たちの人生を賭けた真剣勝負。それがM-1の根幹であるのは間違いない。ただそれだけなら、似たような漫才コンテストはほかにもある。それなのに、なぜM-1だけがこれほどの突出した人気と地位を獲得できたのか? 開催時期が年末という1年の締め括りのタイミングということもあるだろう。そしてそれに加えてひとつ思い浮かぶのが、「スポーツ」という要素である。『M-1グランプリ』は、漫才という競技の大会を伝える“スポーツ中継”の一種と言える。 パフォーマンスを上げるためにネタ合わせという名の練習を何度も繰り返し、さらに従来にない漫才システムという新しい技を考え続ける芸人たちのストイックな姿がもはやアスリートのようだということもある。 だがそれだけではない。M-1という大会そのものが漫才をスポーツのように見せる仕掛けに満ちている。敗者復活のシステムもそうだろうし、出番がもたらす勝負の綾もそうだろう。さらに1本目と2本目のネタのチョイスによる明暗など、実力以外に運や戦略が物を言うところも多い。それもまたスポーツ的だ。 実は、スポーツ中継という要素はかつての『紅白』にもあった。番組の「3つのS」というコンセプトがあり、そのなかに「スポーツ(sports)」が入っていた(ちなみに残りの「S」は「セックス(sex)」と「スピード(speed)」。それぞれ男女対抗とスピーディな演出を指している)。 ■M-1グランプリと紅白の勢いの違い 昭和の『紅白』では、歌手たちの入場行進や選手宣誓があり、NHKのスポーツアナウンサーによる実況もあった。男女対抗による歌の真剣勝負をスポーツに見立てていたのである。 そう考えれば、スポーツ中継の要素を上手に取り込むことは、テレビ番組が人気を獲得するうえでの鉄則だとも言える。実際、テレビの視聴率全体が低下傾向にある現在も、サッカーワールドカップやWBCなどスポーツのビッグイベントの生中継は依然として高視聴率だ。 ただ『紅白』に関しては、回を重ねるにつれてスポーツ的な要素は薄れた。近年は、いちおう男女対抗形式ではあるが、勝負であることをほとんど強調しない。むろん選手宣誓やアナウンサーによる実況もない。 それに比べ、『M-1グランプリ』においては漫才の基本は昔から変わらず、世代を問わず誰でも楽しめる部分は多い。そのうえでの真剣勝負とそれを盛り上げる多彩な仕掛け。それが両番組の現在の勢いの差になっていると言えるかもしれない。 あまりに真剣勝負化が進むと、気軽に楽しむ娯楽という漫才のもう一方の良さが失われる可能性もある。だが、スポーツでよく言う「筋書きのないドラマ」のスリル感をいま最も味わわせてくれるテレビ番組が『M-1グランプリ』であるのは間違いない。 ---------- 太田 省一(おおた・しょういち) 社会学者 1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。 ----------
社会学者 太田 省一