なぜM-1は国民的行事になり、紅白はオワコン視されるのか…2008年の放送を見ればわかる両番組の決定的な違い
■「これが通用しないなら死ぬしかない」 そして肝心のネタも、オードリーは斬新だった。 漫才の基本は、ボケ役とツッコミ役の丁々発止の応酬。この年優勝したNON STYLEも、そんな正統派漫才の流れを汲む。NON STYLEの石田明は、近著『答え合わせ』でもわかるように漫才界きっての理論派でもある。 この日1本目のネタは「人命救助」。溺れている少年を助けて救急車を呼ぶという設定で、役の設定から時々脱線しつつ石田のボケと井上裕介のツッコミがテンポ良く展開する。島田紳助からは、「2人とも上手い!」と高評価。上沼恵美子も「(ネタじゃない)フリートークはあんまり面白くない」と軽く毒を交えながらも、2人の漫才を称賛した。 オードリーはと言うと、ある意味その正反対。若林と春日の掛け合いはずっとずれている。いわゆる「ズレ漫才」である。 決勝1本目に披露したのが「部屋探し」のネタ。いまのアパートには風呂がないと若林が言うと、春日が「屋根もねえだろ!」とツッコむ。若林は、それだと雨が降るとザアザア入ってくると引き取り、「俺んちはダムかよ!」とツッコみ返す。その時点では、春日は無表情でまったく反応しない。ところが、ほかの話題のやり取りがひと段落したところで、「オイ、さっきのダムの話はどうなった?」と唐突に蒸し返す。そのずれに見ている側は不意を突かれ、思わず笑ってしまう。 若林は、「このズレ漫才が世の中に通用しなかったら、辞めるしかない、死ぬしかないって思ってた」と後に『オールナイトニッポン』でも吐露している。賭けていたのである。その思いが通じ、1回目はトップで最終決戦に進出。最後は惜しくも準優勝ながら、堂々たる成績を残したのだった。 ■王者に必要なのは「伝統」と「革新」と… このように既成の漫才に新たなアイデアを盛り込もうとしたのは、オードリーだけではない。 3位になったナイツの「ヤホー漫才」もそうだろう。ネットで調べたという話から始まる細かい言い間違いを駆使したネタで、このときは宮崎駿とSMAPのネタ。通常のボケとツッコミというよりは、塙宣之が一定のリズムとトーンで延々とボケ続け、そこに土屋伸之のツッコミが合いの手のように入るスタイルである。 決勝の常連でこの年は4位だった笑い飯も「ダブルボケ」のスタイルで有名になった。ボケとツッコミがめまぐるしく交代し、役割が固定されていない。2009年のM-1で披露した「鳥人」というネタを島田紳助が絶賛して満点の100点をつけたことはいまでも語り草だ。 伝統と革新。こうしたM-1の二面性を象徴する存在が、審査員のダウンタウン・松本人志だった。 ダウンタウンの漫才そのものに、伝統的な部分と革新的な部分の両面がある。多くの若手漫才師たちはダウンタウンの革新的な部分に心酔し、当人の目の前で自分たちが考えた新しい漫才をやろうとした。その結果M-1は、漫才というシステムをめぐる発明競争の様相を呈した。 ただオードリーの場合、春日という稀有なキャラクターがいたのも大きかった。インタビューではすかさず「トゥース!」をやり、最終決戦後のインタビューでもあの七三に構えた立ち方を崩すことなく、賞金1000万円の話になると「もう大好きでもう」とお金大好きキャラもまったくぶれなかった。 M-1にはテレビで売れるためのオーディションという側面もあるが、そちらでもオードリーには春日という強力な武器があったわけである。やがて若林のほうもバラエティMCとして台頭。オードリーは屈指の売れっ子になっていく。