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今野翔太、12シーズンを過ごした大阪エヴェッサを離れて新たな挑戦へ「伝えたいことが、あるんです」

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バスケット・カウント

2007年、ドラフト外で地元のエヴェッサに入団

取材・文=カワサキマサシ 写真=野口岳彦、B.LEAGUE、安田健示 4月末に大阪エヴェッサから、今野翔太との契約が満了したとのリリースが届いた。今野はプロデビューから通算12シーズンを、生まれ育った大阪でプレーしたチームの看板選手。事の経緯が気になり、本人に話を聞いている中で「伝えたいことが、あるんです」と、彼は言葉を発した。 「複雑な思いでしたがプロの世界では、よくあることです。とくにプロバスケは、短期間だけ在籍して移籍を繰り返す選手が多い。そんななかで、12シーズンも一つのクラブに在籍し続けられるのは稀なこと。僕以外にもそんな選手はそう多くはないと思います」 大阪学院大4年次に関西リーグ優秀選手に選ばれ、チームを初のインカレ出場にも導いたが、その名を全国に轟かせる選手ではなかった。それでも進路をプロ選手に定め、当時のbjリーグのトライアウトを経て、ドラフト外ながら2007年に地元の大阪に入団する。 キャリア初期はまだ、地元出身の期待の若手選手でしかなかった。1季目はチームのbjリーグ3連覇も経験したが、あれは彼にとって、なにもできなかった苦い思い出。 「あのシーズン、僕は何も貢献していません。先輩たちに、優勝を経験させてもらったようなものです。プロになりたてのころはなかなか試合に出られず、苦しい思いをしました。だけど環境に慣れて、自分をステップアップさせていけば、必ずここで通用する選手になれる。そう自分を信じていました」 その言葉を彼は、現実にした。3季目以降はほとんどのシーズンで50試合以上に出場するなど、大阪に欠くことのできない存在へと成長。27歳になり、中堅選手となった6季目の2012-13シーズンは、自らが望んでいたキャプテンに指名されるまでになった。 「この時には、大阪の在籍歴が一番長い選手になっていました。僕は地元出身だし、余計にこのチームを強くしたい気持ちが大きくなっていた。自分の置かれている立場がだんだんと変わってきて、キャプテンをやりたいと思っていた時に指名してもらったので、すごくモチベーションは高かったです」 しかしこの2012-13、特に前半戦は大阪にとって暗黒の、彼にとっては苦悩のシーズンとなった。 「このシーズンにヘッドコーチがセルビア人のゾラン・クレコヴィッチさんに代わって、外国籍選手は全員、日本人選手も3分の2近くが入れ替え。全く新しいチームになりました。だけど開幕前からヘッドコーチと選手間でコミュニケーションが上手く図れないなど、チームの雰囲気はすごく悪かったんです」 開幕4連敗を喫して、クラブは早々にクレコヴィッチヘッドコーチを解任。さらにプロでの指導経験がなく、いちチームスタッフだった人物を後任ヘッドコーチに据える異例の人事を敢行したことで、混乱はさらに加速した。 「ずっと勝てなくて、チームのムードは最悪でした。このシーズンは立ち上げから上手くいかず、ヘッドコーチが代わっても勝てないので、それがもっと高まった。僕はキャプテンとして何とかしようとしたのですが、先輩選手が多かったこともあり、情けないことにまとめきれませんでした。先輩はみんな良い人たちなんですけど、やっぱり勝てないことでフラストレーションが最高潮に溜まっていましたね。外国籍選手の入れ替えもありましたが、事態は好転しなかったです。チームは一つになれず、完全に崩壊していました。あの最悪の時期のことは、いつまでも忘れられません」

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