視力を失った数学者オイラーは、むしろ数学に打ち込めることを喜び、数学史上最多の論文数を量産した
歴史に名を残す数学者は数多いるが、その中でも数学者人気ナンバーワンが、「オイラーの等式」ほか数々の功績を挙げたレオンハルト・オイラーだ。ガウスと共に「数学界の2大巨人」と呼ばれるオイラーは、人間離れした記憶力と計算力の持ち主だった。私生活では、多くの子どもに恵まれたが、晩年に両目の視力を失うという不幸も。だが、オイラー自身は特に嘆くこともなかったという。そんな‟孤高の天才”オイラーの軌跡を、数学者たちの生き様をまとめた『数学者図鑑』の中から紹介する。 この記事の写真を見る
■史上最強の孤高の数学者 レオンハルト・オイラー(1707年4月15日~1783年9月18日) 牧師の子として、スイスのバーゼルで生まれた。天文学者・数学者。1720年にバーゼル大学に入学したとき、教授だった数学者・科学者のヨハン・ベルヌーイに見いだされる。ヨハンの息子ダニエルとは大の仲良し。オイラーよりも70年後に生まれたガウス(1777~1855)とともに、「数学界の2大巨人」と呼ばれる。史上最多の論文を生み出し、息を吸うようになんでもなく高度な計算を操ったという。
オイラーには最初の夫人との間に13人の子どもが生まれたが、残念ながら成人できたのは6人だけだった。オイラーは子どもを膝の上に乗せてあやしながら高度な計算をし、数百編の論文を書きあげていたという。 途中でオイラーは目を悪くして片目の視力を失い、最後は両目とも見えなくなった。そのとき、オイラーが口述し、子どもたちがそれを筆記して論文に仕上げていた。 オイラーは多数の数学記号や図をつくった。それが現在の教科書などでも以下のように使われている。
・円周率3.14でπの記号を使った ・ネイピア数(オイラー数ともいう)に記号eを使った。オイラー(Euler)のeの略といわれる ・関数でf (x)の記号を使った(関数fはライプニッツ) ・sin(x) やcos(x) の三角関数の記号 ・総和(すべてを足す)を意味するΣ(シグマ)記号 ・オイラー図(ベン図) オイラーは1734年、画家の娘カタリナ・グゼルと結婚し、13人もの子どもをもうけて幸せな人生を歩んでいたが、思わぬ不幸が訪れた。1735年~1738年にかけて(30歳頃)、右目の視力を失ったのだ。さらにおよそ30年後には左目の視力も失い、ついに両目とも見えなくなった。