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宮沢りえヘアヌード写真集 “りえママ”のプロデュースだからこそ実現した【芸能記者稼業 血風録】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【芸能記者稼業 血風録】#72  アイドル歌手に続いて芸能界の一大勢力を築いたのが雑誌のグラビアから生まれたアイドルたち。  巨乳や美脚で男性誌を席巻。「グラドル」と呼ばれている。  グラドルが生まれたきっかけは1970年代にハワイから来日したアグネス・ラムだと思う。グラビアで人気を確実にしたところでテレビ界に進出という工程だった。  これを日本で取り入れ実践したのが通称「巨乳軍団」の異名を持つ「イエローキャブ」の野田義治氏だ。親交のあった野田氏はよくこう話していた。 「水着で世間に認知させ、次に洋服を着せてテレビでしゃべらせる。おしゃべりの技術を学びながらタレント・女優へと進む」  本来、芸能界は歌や芝居の才能と可能性を見極めて育てるが、アイドルは先にビジュアルありき。芸を学ぶのは人気を得た後。スポーツ界では絶対にありえないことをアイドル界では可能にした。  野田氏は世間に認知させるためにインパクトの強い「巨乳」に固執した。大橋巨泉が言っていた「ボイン」に代わり、巨乳が世間に浸透。「爆乳」「美乳」の造語まで生まれ、一大ブームをつくり上げた。グラドルをつくった仕掛け人が野田氏である。  ブームは人がつくる。俗に仕掛けるものである。例えば、西麻布ではやったアイスクリーム屋があった。深夜でもアイスクリームを店先で食べる若者たちが大行列。ニュースでも取り上げられ冬でもアイスクリームがブームになった。これももとは「行列屋」と呼ばれる学生がバイトで並んでいた。日本人は「行列」に弱い心理を突いたアイデアでブームをつくった。  バブル時代に一世風靡した「お立ち台」のあるディスコ。ミニのボディコンで踊る女の子を下で踊りながらパンチラを楽しむ男が殺到。連日、イモ洗い状態となりディスコブームの火付け役となったが、お立ち台の子の大半はバイト。「かなりいいギャラだった」そうだ。  アイドル界では宮沢りえの巧みな仕掛けは芸能史に残るものとなった。  11歳でモデルデビュー。14歳の時に起用された「三井のリハウス」のCMで人気を博したりえ。最初の仕掛けは1991年、写真集Santa Feの出版だった。  出版した時は18歳になっていたが、篠山紀信氏が撮影した時は17歳の時だった。老若男女問わず話題を独占。165万部という部数は写真集史上いまだに破られていない記録。仕掛けたのは母親、「りえママ」こと宮沢光子さん(故人)だった。本来、ヌード写真集は「脱がし屋」と呼ばれる人もいたように出版社側が口説くことが大半だが、りえの場合は母親が撮影場所、写真集の構成、カメラマンまで提案したという。  確かに、17歳の子を脱がせる発想は出版社には浮かばない。実の母親しかできないことであり、実の母だからこそ実現できた。美空ひばりに続く腕利きのステージママの登場にメディアも戦々恐々となっていた。 =つづく (二田一比古/ジャーナリスト)

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