「ほとんどはレベルが低くてくだらない」古代ギリシャの哲学者に学ぶSNSの心得とは?
「本格的な娯楽として通用しているものの殆どはレベルが低くてくだらないし、人々の弱点に迎合するか、つけこんでいるかにすぎない。そうした気晴らしに熱中する集団の一員でいるのをやめなさい。 人生はあまりに短く、あなたにはしなくてはいけない大事なことがある。自分の心にどんなイメージや考えを取り入れるかを識別する力を持ちなさい。どんな考えやイメージを受け取るのかを自分自身で選ばないなら、誰かが代わりにやってくれるだろうが、その真意はきわめて高尚なものではないかもしれない。 知らないうちに俗悪に流れるというのは世界中で一番起こりやすい話だ。しかし、もしあなたが、思慮分別のない単なる娯楽目的のものに対して時間を費やしたり関心を向けたりしないと決心すれば、そのようなことは起こらずに済むのだ。」 ● SNS利用の要注意ポイントは 「自慢と自己PRのやり過ぎ注意」 あなたは朝一番の穏やかで頭がすっきりしている状態でネットを開いたとたん、誰かが投稿したばかりの憤慨に引きずり込まれた経験はありませんか?例えば誰かが間違った意見を表明して猛烈に批判され、さらしものになっていたり、あるいは、世界のどこかで起こった不正について大勢の人たちが口々に言っていたりするのを目にしたときです。 何であれ、SNSのアルゴリズムには、フィードバックを繰り返すことで憤りを増幅する力があり、そのため自分でも気づかぬうちに、あなたもまた誰かを排除するよう要請したり、はるか彼方の国の人々のことを思って憤りを感じたりするのです。
現代のSNSの行動様式では相手をがんがん責め立てたり社会的に排除したりしますが、セネカがそのことについて語ったかのような一節が『ルキリウスへの手紙:モラル通信』にあります。 「群衆に交わるのは危険である。そこでは誰もが悪徳を行っており、私たちはそれに魅せられて、悪徳を植え付けられたり無意識に汚染されたりする。確実なのは、自分が交わる大衆の規模が大きければ大きいほど、危険性も大きくなるということだ。 自分の中にある砦の、できるだけ奥深くに引きこもりなさい。関わるのは自分を磨いてくれるような相手にしなさい。自分が相手を磨けそうなら、そういう相手は喜んで受け入れなさい。切磋琢磨はお互い様であり、人間は教えながら自分も学ぶ。あなたの優れた資質は自分の内側へ向けられるべきだ。」 あなたがどうしてもSNSを使うのであれば、ストア派からは、控えめにすること、自慢ばかりしないこと、延々と自己PRする場にしないことを助言されるでしょう。 「公の場では、自分ばかりが話していることのないようにし、また自分の達成したことや脅威と感じているものについてはあまり語らないようにしなさい。なぜなら、危険な目にあっている話は、語る本人にとってはどれだけ楽しくても、それを聞かされている側にはそれほど楽しくないからだ」 とエピクテトスは言いました。 ストア派が美徳とする節度は、SNSとの関わりにおいて非常に役に立つでしょう。
ブリジッド・ディレイニー/鶴見紀子