【インタビュー】千住 博(画家・63歳)「不完全な人間が不完全な夢を追う。それが芸術であり、人類の歴史なのです」
千住 博さん(画家) ─ニューヨークを拠点に日本画を描き続ける─ 「不完全な人間が不完全な夢を追う。それが芸術であり、人類の歴史なのです」 ──高野山金剛峯寺に襖絵を奉納されました。 「高野山(和歌山県)よりご依頼を頂戴し、『瀧図』と『断崖図』を描きました。長年、白襖だったふたつの間に作品を奉納したのは令和2年のことです。最初は森や海を描こうとしたのですが、納得できませんでした。滝と崖に決定したのは、弘法大師空海の導きによるものかもしれないと感じています」 ──『瀧図』は絵具を上から下へ流して描く。 「自分の力だけで描くのではなく、「重力」という自然の力に任せる手法です。実際、滝も上から下へ重力に則って流れています。作品の中、つまり紙の上で滝そのものを表現しているのです。自然とともにものをつくることの大切さは、もっと注目されるべきだと思います。コンピュータなどのデジタル機器が扱えるのは視覚と聴覚だけだからです。AIは与えられた情報のなかでは完璧な答えを出しますが、人間は不完全な存在です。不完全な人間が不完全な夢を追い、不完全な出来栄えに不完全な満足をする。それが芸術であり、人類の歴史なのです。完璧を目指すのは大切ですが、そもそも不完全な人間に完璧なものはできないと思うしかないと思い至りました。 私の名前の漢字『博』には本来、点があるのですが、自筆のように、点がひとつ足りないぐらいがちょうどいい、という不完全な自分への戒めから取りました。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学長になったときに、点がないと学生たちが戸惑うだろうと復活したのですが、学長を辞めたときにまた取りました(笑)」 ──何を大事にすればよいのでしょう。 「プロセスです。例えば武道で考えると、剣道も柔道も勝てばいいというわけではない。柔道では試合の途中で道衣が乱れると、中断して直します。勝ち負けよりプロセスを大切にする。それが“道”であり、すなわち生き方の問題なのです。これはアナログの世界だと思います。デジタルの世界の0と1だけでなく豊かなグレーゾーンを持つこと、それが奥行きのある文化の内実でもあります。 私は、デジタル社会に抗して、いずれアナログ革命が起こると思います。具体的にいえば、ぬくもり、手触り、試行錯誤、意外性、即興性といった点です。これらはデジタルでは実現が難しい。春夏秋冬それぞれの季節を味わい、そのすべてに感動する。季節のプロセスを現在形で味わう。それが日本の文化です。お茶もそうだし、生け花もそう。究極が“ 一期一会”ですね。二度と来ないこの瞬間を楽しみ、しかも充実している。それが“生きることの喜び”であり、私の作品づくりの根源にあります」 ──千住さんにとっての日本画とは。 「日本画とは、自然の側に立って描くものだと考えています。しかし戦前の日本画は、日本の歴史や日本の精神性を称える喜びにつき進みました。戦後の日本画は材料以外、全て戦前の主題を否定しました。私は、日本の歴史へのリスペクトと現代アートとのハイブリッドを目指しています。 主題を強調するのが現代アートだと高階秀爾先生(美術史家)は仰っていますが、私なりの言葉でいえば、言いたいことを可能な限りダイレクトに表現するのが現代アートの大きな特徴だと思います。『瀧図』は、上から下へ絵具を流す行為自体が、まさに滝なのです。制作のプロセスを考えると、あれは“滝してる”のです。一方、崖というのは地殻変動、つまり自然の皺なのです。『断崖図』は、くしゃくしゃに揉んだ和紙に描いた崖で“崖してる”。和紙は繊維が長いから破れない。揉むことにより、和紙がより和紙としての可能性を出してくるのです。これが現代アートとしての日本画の生きる道だと思いました」 ──ふたつの間の襖絵は見事に対照的です。 「“茶の間”と“ 囲炉裏の間”というふたつの部屋が、高野山を開創した空海が強い影響を受けた中国の“ 五行”の思想をはからずも体現する装置になった、ということに奉納式の前日に気付きました。“五行”とは“ 木(もっ)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)”の5つの元素により世界は成り立っているという考え方ですが、木は部屋の柱、火はまさに火を焚く囲炉裏、金は真言密教の法具で、残るふたつの土と水が、崖と滝に相当します。 崖の“茶の間”は、これから修行僧になる10代の若者が剃髪をする部屋です。前途に不安を抱えた若者は、目前に立ちはだかる崖を前に呆然としている。空海は10代のとき、讃岐(現・香川県)で崖から飛び降りる荒行までやったそうですから、不安で立ち竦んでいる若者に、空海も同じだったと伝えたい。 そして茶の間の奥が、お釈迦様が亡くなった2月15日に夜を徹して火を焚く涅槃会を行なう“囲炉裏の間”です。崖が描かれた襖を開けると、目の前にどーんと滝が流れている。苦しい修行の崖の向こうに“美”はある。目の前の困難を避けている限り、その先に進むことはできないのです」
【関連記事】
- 【インタビュー】立川志の輔(落語家・67歳)「同じ演目を喋り続けるのは大変ですが、微妙に変化する作品を愉しんでやりたい」
- 【インタビュー】稲田弘(トライアスリート・88歳)「70歳から挑戦。悲しみを乗り越えるため、日本人の誇りを見せるため、走り続けます」
- 【インタビュー】室井摩耶子(ピアニスト・100歳)「音楽には終わりも極限もありません。変わらず弛まず、鍵盤に手を置きます」
- 【インタビュー】追悼・さいとう・たかを(劇画家)「1秒先のことしか頭にない。過ぎたことはすべて忘れる。だから“挑戦”ができるんです」
- 【インタビュー】森本勇夫(靴職人・78歳)「自分が本当に納得できる材料を使ってつくった登山靴を客に手渡したい」