江川卓の真っすぐに「なんで当たらないんだ⁉︎」 八重樫幸雄はファウルすら打つことができなかった
「僕は、江夏さんが今まで出会ったピッチャーのなかで一番だと思っていた。江川が出てきた時も、最初はそんな大した感じではなかったんですよ。でも、実際に打席に立つと『なんで当たらないんだ?』ってなる。ふつう打席に立てば、ファウルにできる球って必ず一球はあるんですよ。それなのに江川のボールって一球も当たらないんです。振った時にボールはキャッチャーミットの中ですよ。『なんだ、これは⁉︎』ですよ」 1969年に高校球界屈指のスラッガーとして、仙台商業からドラフト1位でアトムズ(現・ヤクルト)から指名を受けた八重樫。入団当初は外野守備をするほど、パンチ力あるバッティングに定評があった。 1983年には97試合でホームラン16本、翌年は124試合でホームラン18本と"打てるキャッチャー"として台頭する。ちなみに江川がデビューした79年は、74試合の出場で打率こそ.208だが、ホームランは10本放っている。そんな八重樫でも、江川の球は打てないどころか、ファウルにさえできなかった。 「"怪物"って言っても、『オレのほうが歳は上だし......』って思っていたんだけど、ボールを見るとまったく後輩って感じがしないんだよね。野球をやってきて、初めて見るピッチャーだった。今までレジェンドと呼ばれたピッチャーがいたけど、江川のように高校時代から数々の記録を残して伝説になった人っていないと思うんだよね。対戦したヤツに聞いたら、もっともっといろんなものが出てくるはず」 江川をピッチャーとして完全に認めている八重樫だが、"人間・江川卓"に対してはまだまだ懐疑的な部分を持っていた。 (文中敬称略) つづく>> 江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin