武豊騎手と蛯名調教師 2人を見ていると、真の友情というのはこういう形なのだなとうらやましく思う【本城雅人コラム】
蛯名正義調教師が2000年にニューヨークに拠点を移した時、偶然にも私は現地に居住していた。会いに行くと、いつも話に出てきたのが同期の存在だった。 「同期に武豊がいたのが一番の財産だった。彼がしていることを後ろからまねしていたら、ここまで来られた」 同時期に武豊騎手もロサンゼルスに拠点を移していた。ニューヨークとロスは飛行機で5時間程度だし、携帯電話もかけられるが、2人は米国に滞在した1年間は会ってもいないし、電話もほとんどしていない。その代わりと言っては変だが、私が週末になるとどちらかに会いにいき近況を伝えた。武豊騎手からは「東海岸なんて日本人は全然行っていないのに、そこで勝つんだからエビちゃんは大したもんだよ」と、一方蛯名正師からは「ユタカは重賞にも乗ってるんだものね。レベルが違うよ」と、ともにたたえ合っていた。帰国した翌年、蛯名正師は念願の全国リーディングを獲得、武豊騎手は03年から3年連続200勝をマークし、米国滞在の成果を結果に残す。また10年にはナカヤマフェスタとヴィクトワールピサで、ともに凱旋門賞で騎乗した。4コーナーでヴィクトワールピサの息が上がって後退した時、武豊騎手は「エビちゃん、勝てよ」と心の中で先頭争いしていた同期にエールを送った。そして2着になった蛯名正師とその夜、珍しく2人で、パリの街で浴びるほど酒を飲んだそうだ。 その蛯名正師が厩舎を開業した。聞いたところによると、技術調教師期間、武豊騎手は知り合いの馬主数人に「彼をよろしくお願いします」と声をかけ、蛯名正厩舎には良血馬が入る予定だという。2人を見ていると、真の友情というのはこういう形なのだなとうらやましく思う。普段からベタベタすることもなければ、あえて仲がいいことをアピールすることもない。すべて心の中でやりとりする2人が、どのような馬を作り、どのような競馬で応えるのか、楽しみでいっぱいだ。(作家)
中日スポーツ