希少疾患の治療薬、世界初の技術で開発中 起業と研究の二刀流に挑む熊本大の准教授
――DNAを折り曲げることと、グアニンで構造体を作ること、いずれもStaple核酸の技術につながっていますね。 そうなんです。紆余曲折をへたのですが、結果的にこの二つの研究がStaple核酸のアイデアにつながりました。 G4構造を研究する中でわかってきたのは、通常グアニン同士が離れているとこの構造はできないのですが、人工的に近づけてやると構造を作ることができるということでした。近づけるための手法として、当時(京都大学博士研究員時代)の指導教官だった佐藤慎一・熊本大特任教授と共にStaple核酸を思いついたんです。 その場しのぎで博士課程に進んで始めた研究と、それまでの研究に興味を持てなくて新しいことに取り組んだことが、結果的に人を治したいという当初やりたかったことにつながって。「人生戻ってきたな」という感じでした。
――現在は熊本大で研究を続けながら、起業もしています。熊本大に拠点を移した経緯と起業のきっかけを教えてください。 京都大ではアイセムス(iCeMS、Institute for Integrated Cell-Material Sciences=物質-細胞統合システム拠点)に所属していました。文科省の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」による支援も受けていたのですが、それが終了したので研究が続けられる場所が必要になりまして、熊本大の研究者募集に手を挙げて採用されました。それが2017年のことです。 ただ、熊本大で所属した研究室は化学系で、僕は生物系でしょ。自分の研究に使える機器がそろっていませんでした。例えば37度に設定する機器がないので、37度にしたお湯にビーカーを沈めて、その中にラップをかぶせたシャーレを入れるみたいなことをやっていました。 まあ、そういう苦労を楽しむこともできたのですが、こうやっている間にも、もしかしたら病気で亡くなってしまう人がいるかもしれないと考えると、一刻も早く薬を作りたいと思うようになって、色んな研究費に応募するなどして、どうにか機器をそろえていったという感じです。 薬の開発には莫大なお金が必要で、すべてを公的な研究費でまかなうことは不可能なんです。通常のやり方では無理だなと思い、起業を目指してピッチコンテストに出るようになりました。 でも会社ってどうやって作るのかわからなかった。そこで、とにかくピッチコンテストに出場し続けました。もう100回じゃきかないぐらい。しゃべりまくって、名刺交換して。そんなとき、「起業に興味あるんですか?」と声をかけてくれたのが、共同創業者でCEOの谷川清でした。 彼は当時、大鵬薬品のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)である大鵬イノベーションズ代表を務めていました。医薬品分野での投資先や協業先を探していて、僕らの技術を見て、まずお互いの研究に対する考え方や企業に資するかを見極めてもらうために共同研究費を出してくれたんです。 そして最終的に「起業しませんか」と言ってくださったので、StapleBioを設立し、谷川がCEOを兼務、僕がCSO(最高科学責任者)に就任しました。谷川はその後、大鵬イノベーションズを退職して僕らの会社に専念することになりました。彼にしても希少疾患の患者を救いたいという強い思いがあったのだと思います。