【プロレス】転々とした苗字…環境に負けず大日本・神谷英慶はトップを目指す
地獄の10代を乗り越えて
大日本プロレスには、神谷英慶(かみたに・ひでよし)という選手がいる。現在29歳で、2012年4月に同団体でデビュー。いま大日本のトップグループに位置しているプロレスラーだが、デビューに至るまでに過ごした10代は“地獄”と呼べる環境だった。今年から本格的にデスマッチの闘いに身を投じ新たな一面を見せているが、いま一度、神谷がいかにして信じられぬ環境を乗り越えリングに立っているかをお伝えしたい。あまり振り返りたくない過去なのは間違いない。再び出自が世に出ることも本人了承のもと、この記事をお届けしたいと思う。 【写真】プロレスグランプリ2020好きなプロレスラー1~50位
◇ ◇ ◇ 神谷は19歳で過去と決別し、プロレス界に飛び込んだ。出身地である三重県を出る時、小中高の卒業アルバムなどあらゆる私物を捨てたため幼少期の写真もない。松阪市で英慶という勇ましい名前を授かり、この世に生を受けた。数年後に弟も生まれたが、自身が小学生になってすぐ、両親が離婚。小学校時代は苗字が幾度も変わり“転々とした”という。苗字が変わり、学期が変わり「青木英慶」になった時などは出席番号が「9番」でカ行のまま変わらず…という、通常は経験し得ない体験もした。 「あの頃はお父さんが入れ替わることが多数あった。別に入れ替わったからといって、何か思うということもないぐらい。幼少期のこと思うと周りの人はみんな頭のおかしい人ばかりだった気がしますね。1週間ぐらいでいなくなったお父さんもいましたから。何人目のお父さんかは忘れましたけど、トラックの運転手をやってて『仕事行ってくるね』みたいなことを言って出て、そのまま永遠に帰ってくることがなかったり。そういうことがよくありました」 何人もの“父”が行き過ぎては、変わっていく。異常な状況のなか家庭環境を「面白いものじゃないし」と、学校の仲間にも先生にも悟られぬよう明るく振舞おうとし、話すこともなかった。家のことを考えれば複雑なことがあまりにも多すぎたので、それを表に出して人に迷惑をかけぬよう“作り笑い”をする少年だった。自然と身を守るために取った防衛本能だったのかもしれない。転々とした苗字は最終的にもとの神谷に戻し、戸籍上も「神谷」。だが、“最終的な父親”との苗字とは違うものだった。 家のゴタゴタを持ち込まない学校での生活は好きになれた。同時に、そのような環境でプロレスに興味を持っていった。柔道も始めたが、同じようにやり始めた弟のほうが優秀で、祖父母からは「オマエは一生懸命働いて、弟を大学に行かせるんだ」と言い聞かせられ始める。洗脳されたも同然の状態になるほど何度も聞かされ、結果、その言葉に動かされるように生きていく10代だった。 高校生になると、また不幸が襲い始める。高校1年生の時、母が倒れ大腸がんに。2年になると父が脳内出血でダウン。一命は取り留めたものの、体に障害が残ってしまう。母方の祖父母に面倒を見てもらい、自ら毎日弁当を作り夕飯の支度もするようになった。父が回復して退院してからは父の家で生活するも、母は高校3年になると亡くなってしまった。 人間としてグレてもおかしくない環境ながら、そうはならず。理由について神谷は「半分あきらめ気味です。僕はドライなんですよね。そういう意味では可愛くない。仕方ないなと、淡々と受け入れてしまう」という。グレなくても被害者意識が生まれたり、無気力になりかねない状況。でも、神谷は知っていた。人間が生まれ育つ環境は、自ら選べない。絶望的な何かがあるのなら、大切なのはそこから脱出しようとする意志の力であることを。