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夜行列車の“網棚”に寝る…51年120試合制で28勝 杉下茂さんが明かす過酷移動「皆は通路に新聞紙で」

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中日スポーツ

渋谷真コラム・龍の背に乗って[強竜列伝・杉下茂]

 70年のセ・リーグの歴史に、シーズン120試合制は2度しかない。1951、52年。7球団、20試合総当たり。ただし、51年は最多でも大阪(現阪神)の116試合で、最少は広島の99試合。仰天の理由を、当事者に聞いた。  「日米野球が予定されていたからね。打ち切られたんだよ」。現在94歳、当時25歳の杉下茂さんにとって、初の最多勝(28勝)を獲得した思い出深い年。11月に組まれていた日米野球が最優先。そのためセ・リーグは「10月9日で閉幕」を発表していた。幸か不幸か、巨人がぶっちぎりで優勝したものの、激戦だったらどうしていたのか…。  開幕は3月30日。今季の方が日程は過密だが、過酷さでは比較にならない。火曜日から3連戦。木曜の夜行列車に飛び乗り、金曜日に着く。土日で3試合こなし、また夜行…。新幹線はおろか、寝台車でもない。  「いつも満員でね。みんな通路に新聞紙を敷いて寝るんだけど、僕は上の網棚で横になるんだ。今と違って、網だったからね。仕切りの部分に頭を置いて寝たもんです」  この年の名古屋は本拠地が火災で全焼したこともあり、計26もの球場を使用した。杉下さんが強く覚えているのは8月の東北・北海道遠征だ。秋田、山形、仙台、小樽、札幌、函館と移動を繰り返し、広島、国鉄(現ヤクルト)、巨人と7試合戦った。  「巨人は2等車(指定席)でこっちは3等車。巨人に勝て、勝てって言うんなら同じ待遇にしろってね。監督が球団代表に掛け合って、あの北海道を境に2等車になったんだよ」  ようやく通路や網棚からは解放されたが、杉下さんが変わらず投げまくった。チームが113試合で、登板は58試合(リーグ最多)。15完投、290イニング1/3というすさまじい数字が残っている。  「僕は帝京商で補欠生活を経験しているから。あんな退屈なことはなかった。プロでも投げない日にベンチに座っているのは苦痛だった。試合に出る。それより楽しいことはないんです」  感染への警戒。開幕する喜び。どちらも胸に秘め、野球人はグラウンドに立つ。6月19日からの120試合。きついだろう。そんな時は野球ができず「退屈」で「苦痛」だった日々を、どうか思い出してほしい。

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