殺人事件の加害者は服役中の刑務所でマンガを読んでもいいのか? 「自分がマンガを読んでいる姿に疑問を持つ」という加害者からの手紙
贖罪 殺人は償えるのか #3
「殺人事件で服役する受刑囚も獄内でマンガを購入できる」――事件に無縁の人間にとっては、そのような事実に思いを馳せることすら無いだろう。だがこの文章を読んで、どう感じただろうか? 【画像】ノンフィクションライターの藤井誠二さん 『贖罪 殺人は償えるのか』より一部を抜粋・再構成し、罪と向き合おうとする加害者の手記を読む。
マンガを読んで反省できるか?
某日。水原(仮名。殺人事件で長期服役中の受刑囚)からの封書をあける。いつもながら几帳面な字が並んでいる。 自分はこれまで「更生」について根源的な善の「心」が大事だと考えてきました。そこにとてもウエイトを置いてきました。それは大事だと今も考えていますが、この頃は社会適応性も重要なファクターと考えるようになりました。 社会適応性というのは「人間性」の分野で「更生」とは別と考えていました。ですが、平時であれば、根源的な善の心があれば、「更生」に向かうことができますが、社会生活を送る上ではさまざまなストレス、逆境が生じ、その中では善の心だけでは負の引力に負けてしまうと思うのです。 人は逆境の中で弱さが出ます。ストレス下で、ただ耐え、善の心を保とうとするのは違うのではないかと考えるようになりました。昨今「アンガーマネージメント」や「認知行動療法」という言葉をよく目にしますが、怒りに対する適切な処理の仕方、適応的な認知力、対人スキルを身につけ「更生」に向かえる環境づくりをすることも重要だと思いました。 反省などの話ができる同囚がいます。なぜそのような話ができるようになったのか、その同囚と以前、何回か話したことがあるのですが、わからないんですよね。おそらく本やマンガの話をしていて、どういう本を買っているのか聞かれ、「以前はマンガを買っていたけど自分のしたことを考えて買うのをやめた」という話をし、そこから少しずつ被害者に対する思いや、家族に対する思いを話すようになったのだと思います。 水原は社会復帰した後の自身の耐性のようなことを考えていたらしい。いうまでもなく、刑務所の内と外ではまったく環境が異なる。 刑務所はいわば無菌状態で、その環境下でアタマの中だけで自分に耐性をつけたつもりでも、それが煩悩に満ちた「娑婆(しゃば)」で通用するのか。「再犯」をしないと心に誓っても、無菌状態でかたちづくられた心は折れやすい。 付け加えると、水原の手紙を読むと「マンガ」を下等なものと思っているようなので、活字と同じように優劣があり、たとえば手塚治虫作品のような、すばらしい物語を描いた漫画作品と出会うことができていなかっただけだ、ということを伝えた。
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