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出前館・中村利江会長が語る、宅配需要と競合他社との差別化

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NEWS ポストセブン

 コロナ禍で飲食業界が苦しむ中、急拡大しているのが宅配サービスだ。Uber Eatsをはじめ、楽天の楽天デリバリー、NTTドコモのdデリバリーなどがしのぎを削る戦国時代になっている。中でも、デリバリー時代の到来を20年前から予見していたパイオニアが出前館だ。ダウンタウンの浜田雅功を起用したテレビCM効果も相まって、デリバリーウォーズでは先頭を走っている。黎明期から同社を牽引してきた中村利江会長(55)に今後を訊いた。 【写真】エレガントな白のジャケットと白のカットソーで取材に答える出前館会長・中村利江氏

「女子大生コール」で起業

──このシリーズではまず、平成元年(1989年)当時を伺っています。 中村:私は1988年にリクルート(現・リクルートホールディングス)に入社しました。それ以前の大学3年生の頃からリクルートの「月刊ハウジング」という注文住宅雑誌で編集アルバイトをしていたんです。  大学生になってすぐ、女子大生ネットワークを活かしたモーニングコールビジネスを起業したところ、その活動が朝日新聞の「天声人語」で取り上げられたんです。  そのご縁で知り合った朝日の論説委員の方から「面白い会社がある。アルバイトしてみたら」と教えていただいたのがリクルートでした。  就職活動では証券会社をはじめ何社か内定をいただいたんですが、リクルートの仕事の面白さや活気あふれる社風が、私にはすごく合っていた。  ところが、編集志望だったのに配属されたのは営業部門。営業職の大変さは以前から見聞きしていましたのでちょっと憂鬱になりましたが、切り替えは早いほうなので、営業の仕事で頑張ろうと。

──入社1年目にしてセールスでMVP賞を受賞したとか。 中村:当時、リクルートの新入社員の年俸は300万円ぐらいでしたが、インセンティブ(成功報酬)がすごく高かったので、1年目の年俸は700万円を超えました。  それでも、翌1989年には退職しました。入社して2年目に結婚、妊娠したんです。当時は産休・育休制度などが現在ほど整備されていなかったので、残念でしたが辞める以外に選択肢がありませんでした。 ──1998年からはハークスレイ(「ほっかほっか亭」などのフランチャイズ統括会社)に勤務されます。 中村:私、常に働いていないとダメなタイプなんです(笑い)。高岡市(富山県)にある実家が工務店を経営していたこともあって、インテリアコーディネーターの資格を取り、しばらくは子育てをしながら家業の手伝いをしていました。  その後、フルタイムで働けるようになった頃、1997年に株式上場したばかりのハークスレイに入社したんです。もともと食に関わる業種には興味がありましたし、当時は調理された食品をテイクアウトや配達によって家庭で食べる「中食」という形態が注目され始め、家庭での食事作り代行を意味する「ホーム・ミール・リプレイスメント」という概念も盛んに喧伝されていた。それでハークスレイに将来性を感じたんです。 ──入社後はどのような仕事を? 中村:店舗の販促をサポートする営業企画室に配属になりました。出社初日に制服を手渡されたんですが、私は背が高いのでサイズの合う制服がないんです。なので、制服を着たくなかった。「どうしたら制服を着なくて良くなるのですか?」と聞いたら「管理職になれ」と。  そこで、チラシの制作プロセスを徹底的に研究して年間経費を億単位で削減することができました。それで半年後にマーケティング部の管理職に昇進したんです。

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