なぜWBC世界戦で拳四朗はファイトスタイルを180度変え矢吹正道にKOでリベンジを果たすことができたのか…完成への苦悩と覚悟
「ハイガード&ハイプレス」 陣営がこう名付けた新スタイルを提案したのは、タッグを組む三迫ジムの加藤トレーナーだ。10回にTKO負けを喫した9月の因縁の試合が発端だった。 拳四朗が左ジャブを軸に組み立て、陣営が「最低2ラウンドは取っていた」と計算していた4ラウンドまでの公開採点は1人がドロー、2人がフルマークで矢吹を支持。拳四朗は挽回するために5ラウンドから強引に前に出て「打ち合う練習もせずに打ち合いにいったからガードも何もなかった。隙のあるボクシング」(加藤トレーナー)となり、流血による焦りもあって結果的にTKO負けした。拳四朗の持ち味はパンチが当たらない距離で駆け引きするアウトボクシング。そこから強引に踏み込んでいけば、矢吹のカウンターの餌食となり、逆に矢吹には、その遠い距離から突っ込まれて対処できなかった。 その映像を何度も見直した上で、加藤トレーナーが出した結論が「遠く(の距離)でやってラチがあかない。だったら覚悟を決めて、相手を潰したほうがいい。採点に左右されずハッキリと優劣をつけるには、このスタイル」というものだった。 「パンチをもらわないのではなく、どうもらうかを徹底した」 これまでは、矢吹のパンチに対して右斜め後ろに上体をスウェーして、ディフェンスしようとしてきたが、新しいスタイルでは、逆に左斜め前に頭を出してダッキングで外す。踏み込まなくとも互いにパンチが当たる距離で戦うという危険な作戦である。 経緯と理由を説明すると「加藤さんを信じたい」と拳四朗はプロ転向8年目にしての新スタイルへの挑戦を決断した。 だが、長年染み込んだスタイルを変えるのは容易ではない。しかも、3か月のブランクがあった。ジムワークを休んでいたため、拳の“タコ”も消えミットも痛くて打てなかった。加藤トレーナーは、拳ができるまでミットをスティックに変え、自らもグローブをつけての右なら右、左なら左しか打たない“条件マス”などで新スタイルの構築に取り組んだが、簡単にはいかなかった。 「最初のスパーのときは悪かったし不安しかなかった」と拳四朗。 寺地会長が初めてスパーリングを見に行った際にも、被弾が目立ち、「大丈夫なのかと思った」という。「打ったあとに頭は動かすように」とだけ注文をつけたが、拳四朗は非凡だった。スパーを終える度に、加藤トレーナーが修正点を指示。それを次のスパーでは直すという「微調整に次ぐ微調整」(拳四朗)を繰り返した。2月の終わりには、ほぼ完成。3月に入って最後の仕上げをした。加藤トレーナーは「こちらが言うことを体現できるボクシングIQが彼にはある」と拳四朗の才能を称えた。 緊急改造が加速するための心の転機もあった。