いよいよ春ですね! ニューエンタメ書評
この原稿を書いている時点では、まだ今年にはいって一ヶ月ちょっとしか経ってないのだが、早くも「これ、年間ベスト級では?」と思える作品に二作も出会ってしまった。こんなことってあるんだなあ。二〇二一年、豊作の予感にワクワクしている。 しかもその二作、新人のデビュー作と、デビュー二作目なのだ。金の卵から雛がざくざく孵っているかのようで、楽しみなことこの上ない。 ひとつは、荻堂顕『擬傷の鳥はつかまらない』(新潮社)だ。第七回新潮ミステリー大賞受賞作である。風俗で働く女性たちが身元証明を必要とするとき、偽の書類などを手配して堅い仕事についているという嘘を仕立てるのが仕事のサチ。彼女には、依頼人を「ここではない場所」に逃すというもうひとつの顔があった。ある日、彼女のもとにデリヘルで働くふたりの少女が「逃してほしい」と駆け込んでくる。ヤクザに追われているというのだが、どうもそれだけではないらしい。一度は断ったサチだったが、少女のひとりが死んだことで、否応なく事態に巻き込まれていく。 ──と書くとノワール小説のように、あるいは本誌今月号で特集されている今村翔吾の「くらまし屋稼業」シリーズ現代版のように思えるが、サチには本当に人を現実の社会とは違う場所に連れていく力がある、というファンタジー設定なのである。しかもサチがデリヘルの店長と少女の過去を調べるくだりは、ハードボイルドな私立探偵小説の趣すらある。ノワール、ファンタジー、私立探偵小説。相容れないように見えるこの三要素が見事に並び立ち、融合していることに驚かされた。 ここに描かれる少女たちの来し方や、彼女たちが巻き込まれた事件を描くだけで、充分エキサイティングなノワール小説として、あるいはミステリとして成立する。なのになぜ人を別世界へ連れていけるなどというファンタジーにしたのか。それはひとえに、過去をやり直すとはどういうことか、後悔を抱え続けるとはどういうことかという、本書のテーマを描くために他ならない。 サチを頼る人は皆、重い後悔を抱えている。どうしようもない絶望を抱えている。あの時5月、なぜあんなことをしてしまったのか。あれさえなければ、あそこで間違ってさえいなければ。そうすれば今とは違う別の未来があったかもしれないのに――本書のミステリ部分は、彼女たちの「後悔」を探る旅だ。ファンタジー部分は「過去を消すことができるとしたら、それは何を意味するか」という問いかけだ。ミステリとファンタジーがひとつのテーマに収斂していく様は見事という他ない。 この物語は四章で終わるという手もあった。四章で終わっていればシリーズ化もできたろう。だが敢えて著者は終章をつけた。そこに私は、著者の思いと覚悟を見た気がする。