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女医が“裏切り夫”を殺そうとした「チフス菌饅頭事件」が国民の同情をさらった、あまりに悲しい理由

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文春オンライン

大金を貢いだ“年下夫”に裏切られ……絶望の女医が1年で実行した恐ろしすぎる復讐劇「チフス菌饅頭事件」とは から続く 【写真】この記事の写真を見る(10枚)  約80年前の日本・兵庫県で起こった「チフス菌饅頭事件」。女医・広瀬菊子が「夫」に裏切られたことを理由に及んだ犯行に世論からは同情の声が集まった。1939年10月5日から3日間、神戸地裁で行われた一審公判にて、裁判官から菊子への尋問は女医としての経歴と被害男性との関わりへ――。< 大金を貢いだ年下夫に裏切られ……絶望の女医が1年で実行した恐ろしすぎる復讐劇「チフス菌饅頭事件」とは  より続く> ◆◆◆

一度は結婚を断った夫との慎ましい結婚生活

裁判長 佐藤と最初に知り合ったのはいつか? 菊子 昭和4年7月です。(神戸)市民病院に勤務当時、京大医学部学生として見学に来た時に知り合いになりました。その後文通を始め、それから1年後の昭和5年8月に再び佐藤が学生として見学に来まして、この時相当親しくなりました 裁判長 佐藤から結婚の申し込みのあったのはいつか? 菊子 昭和5年8月22日ですが、その際は断りました。それは相手が学生であり、1つ下であったからですが、なお性格の相違という点もありました 裁判長 佐藤の性格はどういうふうであったか? 菊子 一見したところ、おとなしい人と見えましたが、陰気な性質のように見受けられました。(結婚を)一度拒絶しましたが、佐藤から手紙がきて、佐藤の両親が結婚を承諾したことを通知してきました。で、9月中旬、佐藤が訪ねてきて、いろいろ身の上のことを初めて話し合いました 裁判長 結婚式はいつ挙げたか? 菊子 佐藤が京大医学部を卒業した年、昭和6年4月10日、神戸湊区千鳥町2丁目の佐藤が新しく借りた家で式を挙げました 裁判長 当時はどういう生活であったのか? 菊子 佐藤は千鳥町の家から学校の研究室へ通おうとせず、京都で下宿し、私は(神戸市平野)神田町で自炊という、寂しく短い新婚生活でした

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