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元ソーシャルゲーム開発者が語る、ガチャの功罪とは──「繊細に綿密に作ったゲームが、ガチャの快感になぎ倒されていく」

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電ファミニコゲーマー

 昨年、ゲームデザインやゲーム会社の組織論に関する、秀逸なnoteの記事がネットで話題となった。長年のディレクター経験に裏打ちされた、鋭く論理的な洞察が評価され、1000以上のいいねを記録した記事もある。 【この記事に関連するほかの画像を見る】 なぜ作ったゲームが面白くならないのか?基礎にして奥義「フロー理論」|かえるD|note  なぜゲーム作りをまるごと理解できる人が増えないのか?|かえるD|note  記事の著者は「かえるD」こと、類地健太郎氏。過去に月数億円の売上を誇るタイトルを手掛けてきた、実績のあるソーシャルゲーム開発者だ。  そんな氏が、Steamでゲームをリリースするという。さまざまなヒットタイトルを作ってきた元ソーシャルゲーム開発者が、なぜいまSteamで勝負するのだろうか。  どうしてソーシャルゲーム出身のクリエイターが、Steamというコンシューマ系のゲームづくりを目指すことになったのか?  その理由の根底にあったものは、ソーシャルゲームが生み出した「ガチャ」という巨大な発明に対する愛憎だった。  類地氏の仮説によれば、ガチャとは「3割の確率で成功すると思ったその時点で、成功したときの快感が前払いされる」という人間の本能的な快感回路をハックし、マネタイズした装置だというのだ。  しかも、その快感が強烈であるがゆえに、レベルデザインやバランスなどその他の部分をどれだけ綿密に作り込んでも、すべてガチャの快感になぎ倒されてしまう。そのために、ソーシャルゲームはどうしてもガチャの快感がベースとなってしまい、自由にゲームデザインができる幅は3割ほどにまで縮減されてしまうという。  実際にいくつものソーシャルゲームを開発してきた氏の経験が裏付ける、説得力のある分析をお楽しみいただきたい。 聞き手/TAITAI 聞き手・文/実存 ■ソーシャルゲームに必要なコストが上がりすぎた ──今回の取材の趣旨としては、長年ソーシャルゲーム業界でゲームを作り、さまざまなタイトルを手掛けてきた類地さんが、なぜSteamでゲームを作ろうとしているのか、をお訊きしたいと思います。  普通に考えたら、独立したとはいえ、スマホのソーシャルゲームをずっと作ってきたという強みがあるのだから、そこで戦えばいいんじゃないかと思うんです。 類地健太郎氏(以下、類地氏):  一番大きな原因としては、「ソーシャルゲームに必要なコストが上がりすぎた」ことですね。開発コストが上がった結果として、成功するメリットよりも、失敗をするリスクの方が大きく見積もられてしまうようになってしまったんです。  一昔前だと『パズドラ』レベルのヒットを狙って、オリジナルタイトルでも数億円規模の開発費が比較的簡単に通ったんですが、今ではもっと損益分岐を超える点を前提にするというか、少なくとも「外さない」という方向に比重が傾いているんですね。 ──なるほど。 類地氏:  なのでビッグIPを持ってきたりとか、すでに当たっているものの延長線上でものを作ろう、という話が非常に数として大きいんですが、そういう作品をそれなりの規模感で安定して作れるところはもはや数えるほどで。  そういうような「大きなものを作ろう」というか、「大きなソーシャルゲームで外れないものを作ろう」という競争に参加するのは厳しいという感じですね。うちは新しい会社なので、与信が足りないみたいなこともありますし。  実際に規模が小さいものや、オリジナルのソーシャルゲームは、ここ1~2年では特に当たらなくなってきています。  『ドラクエウォーク』などのビッグIPが当たっている一方で、小さいIPやオリジナルものに関しては、そもそも出る数自体が少なくなっています。リリースから1ヵ月ぐらいはランキングに出るものの、その後は沈んでいってしまう、というものがすごく多い感触ですね。 ──現在のソーシャルゲーム業界では、インディー的な作り方で対抗するのはもう難しいということでしょうか。 類地氏:  “良いもの”といっても、いくつかベクトルがあると思うんですが、新しいゲームモデルや新しいゲームデザインで勝負をできる土台が、ソーシャルゲームの中ではなくなってきてしまっていると思いますね。  なので、うちとしては「新しくものづくりができるところに投資をしたほうが良いだろう」という判断をしたわけです。  私はソーシャルゲームは作り続けてきたものの、もともとWebプログラマだったので、どちらかというと新しいものを作りたいという気持ちが強いんです。そもそもソーシャルゲームにものすごくこだわっているわけではないんですね。 ──とはいえ、Steamもソーシャルゲームに負けず劣らずにレッドオーシャン化しているイメージがあります。そこはどうお考えなんですか。 類地氏:  正直なところ、レッドオーシャンだとは思っているんですが、Steamにはアーリーアクセスという方法がありまして。運営しながら行動を変えていくとか、行動をアップデートしていくものづくりを一度試してみたかったんです。  また、ソーシャルゲームでうまくいかなかったものとして、世界向けの配信というのがありまして。かつて日本のソーシャルゲームがアメリカなど海外に乗り込んで、「うまくやってやるぜ」と意気込んで飛び込んだものの、うまくいかなくて帰ってきたじゃないですか。  とはいえ、今後の10年20年を考えると、世界市場に出て行ったほうがいいのは間違いないので、なるべく早く世界向けにシフトできたほうがいいだろうな、と思っています。 ──すごくざっくりした話なんですが、やっぱりゲーム業界には、ソーシャルゲーム系の方とコンシューマゲーム系の方というカテゴリ分けはやっぱりあって、それぞれ文化も違っているじゃないですか。 類地氏:  違いますよね、はい。 ──ソーシャルゲーム系の作り方って、いわば「お客さんのリアクションを見ながら作っていく」スタイルだと思うんです。その点は中国企業なんかも得意としている分野で、今や日本企業と同等か、あるいはそれ以上に成長している。その一方で、コンシューマゲーム系はもっとゼロイチに近い作り方をしていて、クリエイティビティや独創性を強みとしている。それは海外の企業がまだ真似できないというか、苦手としている分野だという印象があって。  だから、これからワールドワイドに展開していくにあたって外資企業や投資家が日本のスタジオに投資したいと思ったときに求められるものは、どちらかというとゼロイチに近いほうだと思うんです。  その点ではコンシューマゲーム系がいまだ強くて、そういう話がソーシャルゲーム出身の会社に行くというのはあまり想像できないというか、まだ弱いですよね。 類地氏:  そうでしょうね。今の段階で外資企業が投資するのであれば、どうしてもそういったものづくりという観点ですでにブランドが立っているものに、となってしまうと思います。  あとで詳しくお話ししますが、ソーシャルゲームはその構造上、クリエイティブの部分が割合として少なくなってしまう分野だと思うので。 ■「人間がわからなかった」から、ゲームを作る ──その点で類地さんはソーシャルゲーム畑の人にしては、noteで書かれていたような「フロー理論」だとか、なんかちょっと変わったことを言う人だな、という印象があって。そこがいま、Steamでゲームを作る理由にも繋がっているのかなと。類地さんの出自というか、なにを目指してゲームを作っているのか、みたいな話をお訊きできればと思います。 類地氏:  そのへんの話をすると、私がそもそも何をしたいのか、みたいな話になると思うんですが……。もともとものづくりが好きで、大学では機械工学を学んでいました。  それとは別に、「そもそも人間はなんであるか」みたいな、心理学的な話にも興味がありまして。  それで、そもそもなんで私がそこに興味を持ったのかというと、私自身が「変わった人間」というか……本当に変わった人からするとそこまでではないんですけど、簡単に言えば「人間がわからなかった」んですよ(笑)。 ──いい話ですね(笑)。 類地氏:  相手がどんな人間なのかもわからなければ、自分という人間もよくわからないな、という状態だったんです。  その「人間ってなんだろう」というところから、人間を知りたいと思って、自分で心理学を学んだり。それで、ものづくりも好きだったので、それと合体したというか。  なんていうんでしょう、“人間に対するレスポンスを作るための装置”として、ゲームを含めたものづくりをやっている、という感じですね。  たとえばゲームに対してお金を出すということは、人間がそこにある一定の価値を感じているということですよね。それだけのお金と感情を引き出すことができるような仕組みというのは、ある種の人間の本質に対して、最適解であるようなものを提供しているんではないか、と。  こうしてものづくりを通して、「人間とはこうではないか」という仮説検証を繰り返していけば、やがて「人間というのはそもそもなんだったか」というのが分かるんじゃないか。というのが、私自身のライフワークというか、人生をかけての問いみたいなものになっていると思っています。 ──うーんなるほど。いわゆるエンターテインメントって、人間の本能をどう突くかというか、ある種ハッキングする仕掛けみたいな一面があるじゃないですか。 類地氏:  そうですね。はい。 ──人間が日々を生きていくためのインセンティブとして、快感や面白さを感じるという生物としての仕組みがあって。成長する喜びとか、繰り返し遊んで楽しいみたいな経験は、普通の人間社会にもありますよね。  そのエッセンスを抽出して凝縮・精錬したものが、たとえばゲームのようなエンタメだと思うんです。現実社会では成功したり失敗したりもあるけど、ゲームならその快感や面白さのフィードバックを確実に得られるとか、そのサイクルが短くて何度も味わえるとか。    ゲームはそういうエンタメ的な意味でいうと、ゼロイチのクリエイティブの部分と、人間にもともと備わっている、ある種の快感回路みたいなものを解析してそこを刺激するという、アナログ的な直感とサイエンスというふたつの作り方が融合していると思うんです。 類地氏:  うん、うん。 ──しかも、その作り方は人によってアプローチが違うと思うんですよ。合理的なほうから入る人もいるし、直感的に「これ気持ちいいじゃん」というところから入る人もいて。僕から見ると、コンシューマ屋さんは直感的なところからから組み立てている方の割合が多いし、逆にソーシャルゲーム屋さんは理屈に寄りすぎていて。  おそらくその融合が理想であろうというのは、誰もが思っているはずだとは思うんですが、お互いがお互いの領域からその頂きを目指している、というか。 類地氏:  お互いの価値観が違いすぎるので融合が難しいんですよね。  そもそもチームで価値観を融合させるのって、ビジネス的にも会社的にもかなりしんどいんですよ。可能なのかなぁ?というレベル感ではあります。  そういう意味では、「別の作り方を取り入れたかった」ということもあります。  ソーシャルゲームの作り方は知ってはいるものの、もうひとつのコンシューマ的な作り方というのはどんなものかというのを体験して、そのふたつの統合論が自分の中で作れたら、よりよいものが作れるだろうなという直観はあって。 ──類地さんの捉えている、コンシューマ側の作り方ってどういうものですか? 類地氏:  私の考えだと、そのソーシャルゲームとコンシューマゲームの作り方の違いは、「作り手側の意図と遊ぶ側のレスポンスの割合」だと思っています。  もちろんものによると思いますが、コンシューマ側の作り方の場合はその割合が7:3ぐらいで、作り手側の意図が占める割合がかなり大きいと思います。 ──作り手側の意図と遊ぶ側のレスポンスって、具体的にはどういうことでしょう? 類地氏:  作り手側の意図というのは、どういうふうに遊ばせたいか、遊んだ人にどういう気持ちになってほしいか、という「ねらい」のことですね。  遊ぶ側のレスポンスはそのゲームを遊んだ人のフィードバックで、ここはいいとかここはよくない、といった反応のことです。  わかりやすい例で言えば、コンシューマRPGのストーリーなんかは、作り手側の意図がほぼ100パーセントを占めていますね。作る側も多少レスポンスを想定して作るとはいえ、ストーリーを進めていく上で、遊ぶ側のレスポンスが介入する余地はほとんどないので。 ──なるほど。逆に、ソーシャルゲームの作り手はどっちかというと、遊ぶ側のレスポンスで戦うということですか。 類地氏:  そうですね。  ソーシャルゲームではレスポンスと意図の割合が7:3ぐらいで。なんというか、まず遊び場所を作って、あとから遊ぶ側のレスポンスを見つつ調整をしていくという感じなんですね。  それで、このもう一方の作り方を体験してみたかったというのがあります。今回、それがちゃんと作れたかちょっと分かんないんですけど(苦笑)。 ■ガチャとは、人間の本能を極限までハックしてマネタイズした「発明」だった ──さきほど、ゲーム作りを通して人間を知りたくて、仮説検証を繰り返す……みたいな話がありましたが、今まで類地さんが作ってきたソーシャルゲームでは、具体的にはどういった仮説やモデルがあったんでしょうか? 類地氏:  私の仮説では、ガチャと成長・学習要素のフロー体験というふたつの軸があるんですが、まずはガチャの話をします。  人間って、なにか行動を起こす前に、つねにある程度その結果を予測しているんですが、過去の経験上「これはうまくいく可能性が3割ぐらいある」と思った瞬間に、その時点で“それが成功したときの快感”を前もって得られるんです。 ──たとえ失敗したとしても、成功したときではなく、それにチャレンジするタイミングでもうすでに快感があるってことですか? 類地氏:  そうです。たとえば、3割の確率で当たる宝くじがあったとして、「よし、これは3割の確率で当たるぞ!」と思った瞬間に、まだ実際に当たりくじを引いたわけでもないのに、人間はそのときすでに当たったときの快感を得られてしまうんです。  つまり、「3割の確率で当たる」という期待値を感じた時点で、当たったときの快感が前払いされるんですね。 ──「当たるかもしれない」と期待したときにすでに快感を得られている、ということですね。たしかに、期待値を計算してみて高かったらやる気になりますよね。 類地氏:  しかも、当たる確率が不確実なのが重要なんです。期待したときに当たるかどうかわからないので、当たりがわかるまでの待ち時間のあいだに、さらに快感がもらえるんですね。  逆に、100%の確率で当たると思ったときは、期待した時点で「必ず当たる!」という快感は得られるものの、当たるまでの待ち時間では快感を得られない。だから、当たるかどうかわからない事象のほうが快感をより多く得られるんです。 ──たしかに、確実に当たるという場合は、くじを引いてから当たるまでとか、スロットやルーレットが回っている間のワクワク感みたいなものはないですよね。 類地氏:  そんな感じですね。  なぜそうなっているのかというと、人間は体を行動させるために快感が必要になっているからなんですね。そうしないと動けないんです。  「3割の確率で当たる」事象って、基本的には失敗することのほうが多いですよね。だから、成功する確率のほうが低いとき、それでも行動するためには快感などのインセンティブが必要になる。というような話が『快感回路』などの快感や報酬系の脳科学研究で明らかになっているんです。 ──言われてみれば、3割の確率って数値的には低いほうですけど、感覚的にはそれなりに当たりそうというか、期待値が高い気がしますね。1割や1パーセントよりもぜんぜんやる気になるというか。でも、なぜ「3割」なんでしょう? 類地氏:  これは仮説の話になるんですが、「狩り」という不安定な行動に対して、3割の成功確率に快感を覚えた人類が生き残ったから、という説があります。  たとえば、イノシシを狩るグループとマンモスを狩るグループがあって、それぞれ3割と1割の確率で狩りが成功したとします。  イノシシを狩るグループは、10回に3回は狩りが成功して生き残れますが、マンモスを狩るグループは10回に1回しか成功しないので、イノシシばかりを狩る人類よりも生き残りにくいわけですね。  つまり、太古の人類がその狩りによる淘汰を繰り返した結果、3割ぐらいの成功確率に快感を感じた人類が生き残ったのではないか、ということです。だから、その人類の子孫である我々も、3割の確率に対して快感を感じるようになったと。 ──なるほど。話を戻すと、人間はそういうふうに期待値の時点で快感を感じるようになっているから、ガチャでも当たりを期待する瞬間ですでに楽しくなっている、と。 類地氏:  そうです、そうです。  だから、ガチャの快感は、期待値の演出を見ているところがピークなんですよ。実際に当たりが出たか出なかったか、ではなくて。  要するに「当たるかも!」という期待をしたときに、あらかじめもらえる快感を楽しんでいるんですよ。その快感が動力源となって、実際にガチャを回す、という感じですね。  つまり、人間はその成功確率や期待に対する快感回路をいわば“ハック”して、その快感をエンタメとして利用しているんです。ガチャというものは、人間の快感回路をある種極限までハックしてマネタイズした「発明」なんですよ。 ──もともとは狩りのような失敗の確率のほうが高い事象でも、やる気にさせる機能を逆手に取って、その「成功するかもしれない」という快感を増幅して何度も味わえるようにしたわけですね。 類地氏:  そうです。ガチャだけではなく、パチンコのようなギャンブルも似たような仕組みなんですけど、とはいえ3割で当たりが出るものってなかなかないじゃないですか。  実際には、3割の確率をもう一段重ねて、3割かける3割の確率に、つまりおよそ1割の確率で当たりにしたり、さらに3段重ねにしてもっと確率を絞ったりしているんですね。  たとえば昔のガチャでは“期待値演出”というものがあって、3割ぐらいの確率で「こういうときに当たり」という演出が出ていたんです。それで「これなら当たるかもしれん!」と思って、もう一段快感を得られると。 ──パチンコでいう「激アツ」みたいな演出ですね。 類地氏:  もう一段重ねて、「本当に大当たりが来るかもしれん!」という、2段・3段重ねというパターンもよくありました。今ではそういう演出はだいぶ簡素化されてしまいましたが。 ──ガチャは、人間にもともと備わった快感回路を最大限にハックした発明だったと。でも一方で、類地さんはその快感一本で勝負することに限界を感じたわけですよね、きっと。 類地氏:  うーん……言い方が難しいんですが、その先は別にないというか、それ以上のものが見えないというか。  ガチャの快感をパーツとして使うぶんにはいいんですが、それだけを作りたいわけではないんです。  たしかにガチャ自体は面白いんですけど……もちろんその快感に慣れてしまうということもありますし。 ──すごい発明ではあるけども、快感としてはプリミティブすぎるということでしょうか。たとえば、ガチャだけでは「1000回遊べない」という感じなんでしょうか? 類地氏:  なんていうんでしょうね、「面白く感じる」というのと「いいことやったな」というのはちょっと違うというか。 ──「いいことやったな」というのはどういうことですか? 類地氏:  たとえばソーシャルゲームでも、アウトプットが単純な快感だけではなくて、現実の人間関係にも良い結果をもたらすのであれば、まあ健全というか、「よかったな」って思えると思うんです。  アウトプットが脳内物質だけというのは、エンタメとしてはそれはそれで良いとは思いつつも「もう少しなんかないのかな」とは思うところではあります。  別にガチャ自体を否定しているわけではないんですが、とはいえ人間の本能的なレスポンスを引き出しているだけであって、“深み”にたどりつけていないというか。 ──“深み”ですか。それが、類地さんの考える「いいこと」なんでしょうか。具体的にはどういうことでしょう? 類地氏:  言い表すのが難しいんですが、面白いゲームにはやっぱり“深み”みたいなものがあるじゃないですか。すごく面白いゲームにぶつかったときに、時間を忘れてプレイして、いつの間にか朝になっていた、みたいな。  なんというか、別にギャンブル廃人を作りたいわけではないんですよ(笑)。ガチャの快感を突き詰めていっても、その最適解はパチンコや宝くじみたいな純粋なギャンブルになっちゃうと思うんです。だから、自分の作りたいものは「そうじゃないよな」と。  ■繊細に綿密に作ったゲームが、ガチャの快感にすべてなぎ倒されていく ──いわゆるゲームクリエイターって、その人の中に少なからず、「プレイヤーに体験させたいもの」があるじゃないですか。  たとえばわかりやすい例で言うと、『ポケモン』の田尻さんは虫取りが大好きで、それをデジタルで再現したい、体験させたいみたいな気持ちがあって、それを実現させる手段として『ポケモン』を作ったと。  そういうふうに、類地さんは自分のゲームを遊んだ人にどういう体験をしてほしいとか、どういう気持ちになってほしい、というものはありますか? 類地氏:  遊んだ人に体験してほしいものとしては、フロー体験という、学習がうまくっているときに快感物質が出て、記憶がされないという状態です。その結果、すごい楽しかったけど、記憶がされないから時間が一瞬に縮まって感じる、というような。  言い換えれば、「時間を忘れて遊べるほどハマってしまう」ということそれ自体ですね。今回のゲームではそれをコンセプトにしています。  私が本来やりたいこととしては、落とし穴を掘りたいんです。落とし穴にすごくうまくはめてやって、「やったぜ」という(笑)。 ──なるほど。プレイヤーを「うまくはめてやりたい」ってことですか(笑)。 類地氏:  「世界一の落とし穴を作ってやりたい」みたいな気持ちがあって、それを実現する手法として、想像もしなかった物語とか、想像もしなかった体験を作ってやりたいというのはありますね。 ──わかります。たとえば『テトリス』って、全然クリエイティブな意図で作られたわけではなくて。ソ連の科学者が、人間の繰り返し遊んでしまう習性を証明するために作ったという、夢もへったくれもない話なんですけど、結果としては世界で一番遊ばれてるゲームになったじゃないですか。  類地さんはどちらかと言えばそっちよりで、いわばマッドサイエンティスト的な意図をもっているんじゃないかと(笑)。 類地氏:  (笑)。そうかもしれないです。  フロー体験はソーシャルゲームを作っていた時代に見つけて、「おお、これじゃん」って思ったんですけど、そのときはソーシャルゲームの制約によって、そっちに踏み込めなかったんですね。  ソーシャルゲームは、どうしてもこのガチャの快感がベースになってしまうんですよ。ガチャというのはレベルデザインとか、成長バランスというの全部ぶっ壊して、なぎ倒していく。そのなぎ倒す快感を売っているんで、その仕組み自体を崩すことができなくて。  すごくフローに突っ込めて、すごく楽しい成長体験や学習体験が得られるように頑張って作ったのに、それをすべてガチャで吹き飛ばされる、という。「まあいいけど、いいのかなぁ」みたいな(笑)。  だから、フロー体験もフレーバーとしては使えるけど、「これで一本作ってみよう」というところまでいけなかったんです。 ──いい話じゃないですか(笑)。ガチャの快感が強烈すぎるゆえに、ほかの部分で工夫してもその快感に負けてしまうんですね……。 類地氏:  本当に繊細にすごく精密に作って、超楽しいゲームを作ったんだけど、SSRに全部吹き飛ばされるという。ありがたいけど、いや、そうじゃないんだけど……という感じですね(笑)。  ソーシャルゲームだと、どうしてもガチャが主で、フロー体験が従になっちゃうんです。その割合はスマホ時代になってから多少良くなったんですけど、とはいえガチャの構造的な呪縛からは未だに逃れることはできなくて。  で、そこを一旦ひっくり返すというか、完全にこのフローのほうに寄せたらどうなるのかということで、昔から作ってみたかったんですね。 ──なるほどなるほど、すごく説得力がありますね。だからこそ、非ソーシャルゲームに挑戦してみたかったと。 類地氏:  最高のバランスで作って「おおー、すげー楽しいぞー!」っていっても、ガチャでなぎ倒されて。  儲かるのは確かだし、なぎ倒されたとしても楽しくなるように工夫はしていましたが、それでも「うーん」という感触がありました。 ──切ないですね。 類地氏:  まあ、構造上しょうがないんですけどね(苦笑)。なんかもったいないな、というのは正直なところです。 ──あるコンシューマのクリエイターさんから聞いた話なんですが、「ガチャとか作ってみたくないんですか」と聞いたら「興味がない」と。で、なんで興味がないかというと、「ゲームデザインの幅が狭まるのが嫌だ」というふうに言っていて。スマホやガチャって、少なからずそういう部分があるのかなと。 類地氏:  実際のところ、ガチャが入っているソーシャルゲームでゲームデザインの幅って、感覚的には70パーセントオフぐらいされるんですよ。  だから、もう戦える場所がないというか。その中でいくら精密に面白いゲームの仕組みを作ろうとしても、結局はガチャの圧倒的な快感に吹き飛ばされてしまう立ち位置なんです。 ──功罪ですよね。ガチャがそれほどの発明だったというのが事実である一方で、逆にその強烈さゆえに縛りや制約にもなってしまっている。今はまだ大丈夫かもしれないけど、いつかみんながガチャの快感に飽きてしまうときが来たらどうなってしまうのか?と。  そこを解決する発明がないまま、ポストガチャの世界が訪れたとき、業界はどうなってしまうんだろうって話ですよね。 類地氏:  その点については、ガチャを含めて2サイクル作ってしまって、それを並列化させるという方法が今は主流になっていますね。  ひとつがガチャで、もうひとつが別の成長要素や学習要素、たとえば『ドラクエウォーク』なら「歩く」みたいな軸を作って、2サイクルで回すという方法がヒットタイトルに増えてきましたね。  とはいえ、そのふたつめの軸を作るにはものすごくコストがかかるんです。というところでやっぱり引っかかるわけですよ。 ──コストがかかるというのは物量的な意味ですか? 類地氏:  えーと、時間とお金の両方がかかりますね。要するに、なんらかの「発明」を生み出さないといけないレベルで、かつ、それでものを作れたとしても、そのタイプのものってプロモーションにすごくコストをかけないとダメなんですね。  クリエイターの中の神話としては「“良いもの”を作ったら売れる」なんですけど、いくら面白くても、認知が足りないので当然売れないわけですよ。  実際に売れる論理は“良いもの×認知度”なので、何らかのプロモーションなり、バイラル的なヒットなりが存在しないと売れないんですよね。  そこに対して、今だと最低でも、ものづくりに5億円、プロモーションに5億円みたいな配分をしないと、そもそも認知されない。 ──冒頭で「ソーシャルゲームに必要なコストが上がりすぎた」という話がありましたが、開発コストだけでなく、ゲームを認知してもらうためのコストもそれと同じくらい高騰しているわけですね。 類地氏:  ですね。今はその認知コストを払う代わりに、ビッグIPがよく使われていますね。  とはいえ、当たり前ですけど、ビッグIPもまたゲームデザインに制約がかかるんですね。ものによる話ですが、3割から7割、下手すれば8割ぐらいの制約がかかります。 ──IPものでもそこまで制約がかかるんですね。 類地氏:  そうです。たとえばゲームの作りやすさでいうと、IPがバトルものだったらやりやすいですけど、バトルじゃなかったら「じゃあパズルにする?どうする?」みたいな話になりますよね。  そのうえで、“ガチャゲー+IP”となると、もうほとんどゲームデザインが介入する幅がないんです。 ──ガチャを入れることで7割、さらにIPものになることでさらに3割~7割の幅が取られるとなると、工夫できる余地は相当少なくなってしまいますね。  ガチャというものがあまりに巨大な発明であるがゆえに、ゲームとしての自由度は狭くなってしまったと。おそらく、多くの人がそこから脱却しようとして、いろいろな取り組みをしたはずなんだけど、たぶん結論としては「いらないよね」となり、今主流の形式に落ち着いたわけですね。 類地氏:  そうですね。つまり、コンシューマゲームに比べて、ソーシャルゲームはキャンバスが非常に狭いんです。  私はそういう状況下で戦ってきて、いくつか成功はしたものの、結局は1割とか2割のわずかな余白でゲームを作ってきたわけです。なので、ゲームデザイン全体の7割や8割までを自由に作れるところに手を出したいなぁ、とずっと思っていたところでした。 ──なるほど。だからこそ、ゲームデザインのキャンバスが広いSteamで作ったと。 ■「制作のためにビジネスを犠牲にする」のは納得がいかない 類地氏:  Steamでゲームを作ろうとした理由には、もうひとつ、ビジネス的な理由もあるんです。  実は私、大学卒業直後に起業しているんですが、一度そこで失敗しているんですよ。2年ぐらいは続いたんですが、それで地元に帰ってきまして。  私にはそのビジネス的なトラウマがありまして、なんというか、「制作のためにビジネスを犠牲にする」みたいなことって、納得がいかないんですよね。クリエイティブもビジネスも両立させないといけないという思いがすごく強いんです。 ──なるほど。その起業の話についてもう少し詳しくお願いできますか? 類地氏:  大学時代にホームページ作成などを請け負っているウェブ屋さんでバイトしていたんですが、「社内ベンチャーをやってみない?」という話があって。  それでPCを修理するサービスを考えて、ちょっとうまくいったんです。といっても大学生ができるレベルのものなんですが……。  メーカーの修理って高いし遅いしみたいなところがあるので、そこをもう少し手軽に、という感じのサービスでした。それでほどほどに、といっても大したことはないんですが、うまくいって。それで勘違いしちゃって、大学卒業後に1回目の起業をするんです。 ──その起業もPCの修理サービスだったんですか? 類地氏:  そうですね。似たような感じのものと、それに加えてウェブサービスも作っていたんですが、これがうまくいかなくてですね。スポンサーというか、一緒に起業した人もいたんですけど、いろいろと相性が悪く、わりと散々な目にあって帰ってくるという結果に……。 ──そこで失敗してしまったと。 類地氏:  まあ、なんというか、友達と始めてしまったんですよ。お金関係と人間関係でトラブルが起きてしまい、喧嘩別れみたいな感じになり。それがわりとトラウマになっていますね。  そういうところからスタートしているので、私は普通のクリエイターとは価値観がズレているんじゃないか、と思っています。純粋なものづくりの人って、アート的なものづくりを目指すじゃないですか。私はそこにビジネス的な部分を必ず混ぜちゃうんですよね。 ──そのバックボーンは面白いですね。ものづくりの話でいうと、ゲームクリエイターさんってアート的なものづくりをしたい人のほうが多いとは思っていて。それに加えて、インディーとなると、9割ぐらいの人がアート的なんじゃないかなと。 類地氏:  多いですよね。とくにインディーでは、「自分で作りたいものを作る」というのが基本的なスタンスだと思いますし。 ──その点で言うと、類地さんのスタンスは稀なのかなと思います。成功した人は別ですけど、最初からしっかりとしたビジネス的なスタンスを持って作る人はなかなかいないんじゃないかと。 類地氏:  私の起業経験は、今回で通算4回目になるんですよ(笑)。だから、スタートアップという状況がわりと普通になっていて。    ものづくりという点では、個別のカテゴリにこだわっているわけではなくて、ものづくりの質というか、新しい概念やものの仕組みを作りたいという感じですね。  ガラケーからスマホネイティブアプリへ、とかががわかりやすいですけど、ゲームでも制作環境が変わるじゃないですか。そういった、いちから始めるパターンを何度も経験しているので、新しいものに挑戦するのが一番面白いというか、自分の価値が一番出るんだろうなとは思っているんですね。 ──そういうフットワークの軽さみたいなものが活かされているんですね。 類地氏:  そうですね。Steamゲームを選択した当時は、3人でやっていたんですが、その規模だとサイズの大きいものって絶対に作れないんです。なので、どうしても「少ない人数でもできる何かを作ろう」という話になって。  さきほどお話ししたように、スマホゲームは規模的に無理だし、VRも物量が必要だしちょっと無理そうかなと思って。  最初には、『PUBG』の亜種を作ろうとしたんですよ。外注を使って1~2ヵ月ほどやってみたんですけど、内製でないこともあってなかなか取り回しが利かず、「これ5年かかるな?」みたいなスピード感だったんです。  それで「これは無理だな」と思って、もっと小さいもので、全部内製で開発できるチームを作ろうという話になったんですね。 ──たしかに5年かかるとなると、もうバトロワブームも去っていそうですね。 類地氏:  まあ、バトロワブームの黎明に企画されたタイトルがいまちょうど出始めていたりするんですけど、「まあこれぐらいの期間はかかるよね」というコスト感の話ですね。  それで、2人とか3人とか、最悪1人でも作れる小さめのタイトルを目指そうとしたときに、ローグライクというのがサイズ感としていいなと。自分の好みの方向でもあったので。  当時は『FTL: Faster Than Light』がSteamローグライクの金字塔となって、『Slay the Spire』が出始めた頃だったんですが、それにすごく衝撃を受けました。  なんていうんでしょうね、シングルプレイヤーというかローグライクというか、「普通のPvPじゃないバトルをやってみたいな」という思いがずっとありまして。『FTL』や『Slay the Spire』ではそれが高い完成度で実現されていたので、「ああ、悔しいな」という思いがすごくありました。「やられたな」という感じですね。  私も似たようなものというか、「同じ高みにあるゲームを作れないかな」と思ったのが、今回開発したタイトルで目指したかったことですね。 ──このジャンルなら、ものづくり的にもビジネス的にもいけそうだなと。 類地氏:  そうですね。私の作りたいものとしては、ちゃんと作り込みができて、新しいゲームデザインができて、かつ、ある程度自分がコントロールできる範囲のコストで作ることができるもの、というのが理想形なんです。  昔のソーシャルゲームはその範囲にあったんですけど、今ではコストが大きくなりすぎて、その理想的な領域から外れてしまった、という感じですね。 ──ソーシャルゲームはものづくり的にはガチャやビッグIPの影響でデザインの幅が狭くなってしまい、ビジネス的にはコストが高くなりすぎてしまった。だから、作りたいものを作るために、ゲームデザインのキャンバスがより広く、コスト的にも手が届く、Steamのゲームにトライしてみたかったんだ、ということですね。(了)  元ソーシャルゲーム開発者がSteamに挑む理由とは、強烈なガチャの快感に吹き飛ばされることなく、自分が作りたいものを実現できる「キャンバスの広さ」を求めた結果だった。    「ソーシャルゲームはキャンバスが狭いんです」。そう語る類地氏が、今回のゲームで実現したかったものとは、「フロー体験」。言い換えれば、「時間を忘れて遊べるほどハマってしまう」という経験そのものだ。  そんな類地氏が「ポストガチャ」の時代を見据え、Steamでチャレンジしたゲームがこの『DIMENSION REIGN』である。   ソーシャルゲームに比べ低コストで開発でき、ガチャやビッグIPの制約に縛られることなく、フロー体験をしっかりと味わえるように作り込める。その点ではSteam・ローグライクというジャンルはまさにぴったりと言えるが、とはいえ、依然としてコアゲーマー向きであることは否めないだろう。  その点を考慮すると、確実にその裾野を広げたであろう『FTL』や『Slay the Spire』の功績と、その影響力の高さに驚かされる。とりわけ『Slay the Spire』は今回の『DIMENSION REIGN』のみならず、『Overdungeon』など、国産のローグライク・インディーゲームの勃興に火をつけた作品であるといっても過言ではない。  なお、こうした国内での広がりについて『Slay the Spire』開発者のAnthony氏に尋ねたところ、「我々が示したことを、新しいアイデアやメカニクスでもって、より良くよりユニークな形で拡張しようとしてくれるのは最高に嬉しいですね。アートのスタイルや敵のグラフィックも全体的にいい感じで、どんなふうに開発されたのか気になりました。」とのコメントをいただいた。    ローグライクのようなコアゲーマー向けのジャンルが、新興デベロッパーによってより遊びやすく、よりカジュアルに洗練され、その「時間を忘れて遊べるほどハマってしまう」楽しさが万人に届くような時代は、もうすぐそこにまで来ているのかもしれない。 【この記事を面白い!と思った方へ】  電ファミニコゲーマーでは独立に伴い、読者様からのご支援を募集しております。もしこの記事を気に入っていただき、「お金を払ってもいい」と思われましたら、ご支援いただけますと幸いです。ファンクラブ(世界征服大作戦)には興味がないけど、電ファミを応援したい(記事をもっと作ってほしい)と思っている方もぜひ。  頂いた支援金は電ファミの運営のために使用させていただきます。

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