【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 ミラクル劇で甲子園決めた星稜 2014年「自主自立」押し出し復活(第5回)
製作・著作/毎日新聞社
1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談。第5回は、昨夏の甲子園で準優勝するなど近年活躍著しい星稜を作り上げた林監督の転機を振り返る。【構成/毎日新聞社 安田光高】 【写真特集】「松井5敬遠」明徳vs星稜の打撃記録を振り返る
海外でも話題 8点差ひっくり返すサヨナラ勝ち
林監督は今季が就任10年目。就任当初と比べると、その指導方針は変化してきた。 林監督 縛り付けるのがあまり好きではないので、ある程度は言うが(昔と比べて)生徒に任せられることは任せるようになった。 きっかけは2014年。夏の石川大会決勝の小松大谷戦で0―8から九回に9点を奪って逆転サヨナラ勝ちした。大逆転劇は海外でも報じられた。 林監督 自主自立を前面に出していこうとなったのは、あの大逆転があった年から。昼休みに主将を呼び、何の練習をしたらいいかなど話をして、主将からチームのみんなに話すような形になってから結果も出るようになってきた。監督になりたての頃は、結果ばかりを求め、自分自身も練習で100%やりきらないと不安があったが、ちょっと余裕を持とうという考えになって肩の力が抜けた時にふと勝てるようになった。
星稜は98年夏の甲子園で2勝した後、次の勝利は14年夏までかかった。99年に母校にコーチで戻った林監督も、勝てない厳しい時代を経験した。
林監督 平成10(1998)年の後は、10年間で春夏1回ずつしか(甲子園に)出られなかった。悲壮感が漂い、勝たなきゃ勝たなきゃとの思いがチームに強かった。そういうところを監督になって、しばらくしてから変えた。 主将主導のチーム作りをした直後、石川大会決勝での大逆転が起きた。林監督は0―7となった四回の時点で負けを覚悟したという。 林監督 毎年スローガンを選手たちに決めさせ、(その年の)「必笑(ひっしょう)」も生徒たちが考えた。もう試合の途中で白旗だったので、「お前たちの考えたスローガンだから最後ぐらい楽しんでやれ」という感じでやった。ああいうことは絶対起きないが、あの試合から生徒たちに教えられた。