日常にある「ジェノサイドの種」に異を唱えて 人道問題の研究者が語る、戦時下にいない人たちが手にする「特権」
━著書「入門 人間の安全保障」では、いじめやDV、職場でのハラスメントといった、日常生活に存在する「暴力の種」「ジェノサイドの種」に日頃から異を唱えていかなくてはいけない、と提言していました。 文化人類学者のナンシー・シェパー=ヒューズは、ジェノサイドの典型例だけでなく、「小規模な戦争と見えないジェノサイド」こそ探求すべきだと主張しました。 暮らしの中にある、「極端な形をとれば、ジェノサイドに発展しうる構造的な力学」に目を向けることの大切さを強調したのです。 平時に、学校や職場でのいじめや人権侵害、近隣の家庭内暴力に対し、まわりの人が、特別な勇気をふるわなくとも、「それは絶対に許されない」と言える空気や土壌を作っていくことが、戦時や極限の状態に置かれたときの一人ひとりの行動や、ジェノサイドの予防につながっていくと思います。 ━世界の人道危機を前に、日本にいる私たちに何ができるのでしょうか。 赤十字国際委員会(ICRC)の元副委員長ジャン・ピクテは第二次世界大戦後に記した著書の中で、「人道の4つの敵」として「利己心」「無関心」「認識不足」、そして「想像力の欠如」を挙げました。 単純な道徳律に見えるかもしれませんが、この「人道の4つの敵」は、第二次世界大戦後、彼の言葉にならない後悔と苦悩から生まれたものです。 大戦中、ユダヤ人関係者から、ナチスドイツによる、ユダヤ人迫害や虐殺の知らせと救援要請がもたらされたにも関わらず、当時のICRCは、様々な事情で、行動を起こさないという組織決定をしてしまいました。当時、秘書官としてその場にいたピクテは、戦後、全容を知り衝撃を受けます。 ユダヤ人に対する何らかの人権侵害が起きていることは承知していた。しかし、あれほどの規模と方法で行われていたことへの想像力と認識が欠けていたと。 またピクテは、「無関心は長期的には弾丸と同様に確実に人を殺す」とも主張しました。後悔という言葉では表せない、自らの経験を踏まえた、とてつもなく重い言葉です。 とはいえ、何かを知ったからといって、誰もがすぐに行動に移せるわけではありません。 思い立ってすぐに、停戦を求めるデモに行ける人もいれば、様々な事情で行けない人もいる。寄付できる人も、できない人もいます。人それぞれ、その時々に置かれた状況によっても、できることは違います。 ただ、関心を持ち続けること。無関心でいないというのは、特別の事情になければ、誰でもきっとできるはずです。そして今は何もできなかったとしても、関心さえ持ち続けていれば、将来の何かにつながると私は思っています。 ━国内外で人権問題や人道危機があふれていて、その全てに関心を寄せ続けることは現実的には難しいと感じています。 平時と戦時(または非常時)の大きな違いの一つは、極論に陥らず、多様性や多様な意見を受け入れられる状態にあるか否かだと思います。 紛争や戦争のない国に生きる人たちは、「いろいろな問題に関心を持って良い」という「特権」を持っています。その人にとって心にカチッとくる対象、社会課題は、一人ひとり異なりますよね。 ある人にとっては、日本や海外の難民の問題が最大の関心ごとかもしれない。紛争地の子どもを見て胸が揺さぶられる人もいれば、国内の困窮するお年寄りのニュースを見て耐え難いと感じる人もいます。あらゆることの大前提として、地球環境問題にも取り組まねばならない。 当たり前ですが、ひとりの人が、全ての問題に関心を持ち、行動することは不可能です。ですが紛争や戦争のない社会に生きる人間の強みは、それぞれが違う領域に関心を持って、自分の意志で行動できる、そしてそれを誰からも強制も非難もされないところにあるのではないでしょうか。 それぞれの関心を開花させることが、戦争のない国で生きる人の務めでもあると考えています。 ▽長有紀枝(おさ・ゆきえ) 立教大学大学院社会デザイン研究科・社会学部教授。認定NPO法人「難民を助ける会」(AAR Japan)会長。研究者および実務家として、ジェノサイド予防や人道問題、紛争地の緊急人道支援、地雷対策などに携わる。著書に「スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察」(東信堂)、「入門 人間の安全保障」(中央公論新社)など。